思考の凝り② 「普通」って誰が決めた?
「普通はさ。」
この言葉、人生で何回聞いただろ🤣
普通は結婚する。
普通は子どもを持つ。
普通は家を買う。
普通は正社員。
普通は老後のために貯金。
普通は親の面倒を見る。
普通は反省する。
普通は…
普通って便利なんよ。
いちいち全部説明しなくて済む。
社会がスムーズに回る。
だから普通があること自体は悪いことじゃない。
ここ勘違いしてほしくない。
ババアは普通を否定したいわけじゃない。
オーストラリアだって普通はある。
「家は買うもの。」
「住宅ローンは組むもの。」
「18歳になったら親元を離れる。」
「子どもは自立するもの。」
こういう前提は普通にある。
だから日本だけ特別って話じゃない。
でもね。
日本に帰ると改めて思う。
日本の普通は、かなり強い。
「普通はこう。」
が空気として流れてる。
しかも、それを誰も口に出さない。
察する文化だから。
だから普通から外れると、
「え?」
っていう空気になる。
誰かが怒るわけじゃない。
法律違反でもない。
でも、
「あれ?」
「変わってるね。」
「普通はさ…」
この空気がある。
これが日本のすごいところでもある。
前提が共有されてるから、
店員さんのサービスも。
電車も。
社会全体も。
めちゃくちゃスムーズ。
だから日本は本当に暮らしやすい。
でも同時に、
普通から外れた人は息苦しくなる。
生きやすさと生きづらさは紙一重なんよ。
若い頃のババアもそうだった。
普通って何の疑いもなく採用してた。
結婚する。
子どもを育てる。
働く。
家計を守る。
「そういうもんだ。」
って思ってた。
でも46歳で脳出血して、
人生が一回止まった。
そこで初めて、
「あれ?」
って思った。
この普通、
誰が決めたんだ?
親?
学校?
会社?
テレビ?
社会?
それとも、自分?
考えてみたら、
自分で決めた普通って意外と少なかった。
ほとんどは、
生まれた時から周りにあった前提を、
そのまま採用してただけ。
だからババアは今、
普通を捨てようとは思わない。
普通は便利だから。
でも、
普通を一回疑ってみる。
これは大事だと思う。
採用するのも自由。
採用しないのも自由。
「普通だから。」
じゃなくて、
「私はこれを選ぶ。」
になった時、
それはもう普通じゃない。
自分の考えになる。
思考の凝りって、
普通を持ってることじゃない。
普通を疑う前に、思考が止まること。
ババアはそう思う。
知らんけど。


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