思考の凝り|第3話 「家は買うもの」だと思っていた話

昔の私は、
「家は買うもの」だと思っていた。

むしろ、
買わないと不安だった。

家賃はもったいない。
持ち家こそ安心。
ローンを払えば最後は資産になる。

日本でも、
オーストラリアでも、
ずっとそういう空気がある。

もちろん、
持ち家が悪いと言いたいわけじゃない。

家を持つことで安心する人もいる。
家族の幸せを感じる人もいる。

それはその人の価値観だから、
否定する必要はない。

でも私は、
脳出血をして初めて気付いた。

“家を持つこと”と、
“人生の安心”は、
必ずしも同じじゃない。

もし高い住宅ローンがあったら。

もし固定費が今の何倍もあったら。

私は、
あの時かなり苦しかったと思う。

働けない。
収入が止まる。
でもローンだけは来る。

その怖さって、
実際に止まりかけると見える。

逆に私は、
かなり変わった暮らし方をしている。

ボート生活。
固定費は低め。
「普通の家」は持っていない。

はたから見れば、
不安定に見える人もいると思う。

でも実際は逆だった。

固定費が低いことで、
“選択肢”が残った。

焦って働かなくていい。
無理して身体を壊さなくていい。
「今は止まる」が選べる。

私は最近、
安心って「物」じゃなく、

“自由度”

なんじゃないかと思っている。

逃げ道がある。
止まれる。
選べる。

この余白が、
人生をかなりラクにする。

そしてもう一つ思う。

「家を買うのが普通」

これも、
かなり強い“思考の凝り”なんだって。

本当に自分が欲しいのか。

それとも、
世の中の空気を吸ってるだけなのか。

ここを一回考えるだけで、
人生設計はかなり変わる気がしている。

家計設計屋より

コメント