私は昔、
「普通」が正解だと思っていた。
普通の家。
普通の働き方。
普通の教育。
普通の老後。
そこから外れないように生きるのが、
大人なんだと思っていた。
でも今思う。
あれは“安心”じゃなくて、
「思考の凝り」だった。
私は2024年、脳出血をした。
世帯収入は長期間ほぼ止まった。
しかも子どもはまだ育ち盛り。
普通に考えたら、
かなり怖い状況だったと思う。
でも実際は、
想像していたより崩れなかった。
理由はシンプルで、
「生活コストを下げる設計」を先にしていたから。
豪華な家もない。
見栄の固定費も少ない。
“普通らしさ”にお金を使っていなかった。
その代わり、
現金を厚めに持つことを意識していた。
すると、
働けなくなった時に初めて分かった。
人を救うのは、
見栄でも肩書きでもなく、
“時間を買える現金”なんだって。
もちろん、
これは「質素が正義」という話ではない。
高級住宅で幸せな人もいる。
ブランド品で気分が上がる人もいる。
それは個性だから、
否定する必要はない。
ただ、
自分の意思ではなく、
「普通だから」
「みんなそうだから」
「40代ならこのくらい」
で選び続けると、
思考は少しずつ固まっていく。
そして、
苦しくなっても気付けなくなる。
私は脳出血をして、
強制的に止まった。
だから見えた。
“普通”って、
意外と誰も責任を取ってくれない。
家計も。
健康も。
老後も。
最後は、
自分で設計するしかない。
だから最近、
私はまず「お金の知識」より先に、
「その考え、本当に自分のもの?」
を考えるようになった。
思考の凝りがほぐれると、
家計も人生も、
少し呼吸がしやすくなる気がしている。
家計設計屋より


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