横並びから降りる|第5話 普通という幻想


「普通」という言葉は

とても便利だ。

でも

とても曖昧だ。


普通の学校。

普通の会社。

普通の家庭。

普通の人生。


この「普通」は

誰が決めているのか。


たいていの場合

普通とは

多数派の平均だ。


多くの人が選んでいる道。

多くの人が歩いているルート。

多くの人が安心する形。

それを

私たちは

普通と呼ぶ。


でも

平均は

正解ではない。


平均とは

ただの真ん中だ。

安全でもない。

合理的でもない。

ただ

人数が多いだけだ。


私は長い間

普通から外れることを

怖がっていた。


子どもを普通ルートから外したら?

将来困るのでは?

遅れるのでは?

社会に乗れないのでは?


でも

その“普通”は

誰の人生の設計なのか。


学校の設計。

社会の設計。

制度の設計。

それは

集団を回すための設計だ。


個人の人生の設計ではない。


横並びの安心は

この「普通」という言葉で

支えられている。


普通だから。

みんなそうだから。

その言葉が出た瞬間

思考は止まりやすい。


私は

ボートで生活している。

それは

普通ではない。


でも

普通ではないことと

間違っていることは

同じではない。


普通とは

ただの

“多数派の現在地”。


時代が変われば

普通も変わる。

場所が変われば

普通も変わる。

社会が変われば

普通も変わる。


それなのに

私たちは

普通を

絶対の基準のように扱う。


横並びから降りるとは

普通を否定することではない。


普通を

一つの選択肢として

見ること。


普通は

道の一つ。

人生の答えではない。


私はまだ途中だ。

でも

普通という言葉を聞いたとき

一度立ち止まる。


それは

本当に

自分の人生の普通なのか。

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