ペナン生まれのおばあちゃんと、その娘。私が「もっと」の先で見たもの

1 前提 構造 世界 Assumptions / Structure / World

私は、家庭のお金を設計するという仕事をしている。

何を買えば増えるか、どうすれば誰より豊かになれるか。それよりも気になるのは、そのお金で、そこで暮らす人たちがどう生きているかだ。

収入はいくらあるのか。何に使うのか。働けなくなったらどうするのか。誰かに介護が必要になったら、誰が何を引き受けるのか。

その家のお金と、その家の人の人生は、切り離せない。

私がそう考える背景には、介護の仕事で関わった、あるお母さんと娘さんの存在がある。

ペナン生まれの、中華系マレーシア人のおばあちゃん。そして、両親をオーストラリアに呼び寄せ、自宅で介護し、看取った娘さん。

私は、おばあちゃんの人生の最後の約5年間に、在宅介護の仕事で関わった。

今日、その家族のことを思い出した。

「もっともっともっと」の先には、何があるんだろう。

私にとって、それは机の上だけで考えた問いではない。

※ご家族の名前は伏せています。戦争中の出来事は娘さんから聞いた話です。資産をめぐる問題も娘さん側から聞いた内容であり、不正の有無や法的な責任を、私が判断できるものではありません。

私が介護したのは、長い人生の最後の一部分だった

私が関わっていた頃、おばあちゃんは認知症の末期だった。

介護の仕事で出会うと、どうしても、その時点の姿が目の前にある。

何ができるか。どんな支援が必要か。どうすれば、その人の暮らしを支えられるか。

でも、その人の人生は、介護が必要になったところから始まったわけではない。

子どもだった時間がある。若かった時間がある。親になった時間がある。私が知らない人に出会い、私が知らない場所で、数えきれない日々を生きている。

私が担当したのは、その長い人生の最後の一部分だった。

おばあちゃんは、マレーシアのペナンで生まれた中華系の女性だった。

その人が、どういう時代を生きてきたのか。

私は、娘さんの話を通して、その一端を知った。

髪を剃り、短パンを履いていたという話

娘さんから聞いた話が、今も残っている。

日本軍の占領期、おばあちゃんは、日本兵による性被害を恐れ、髪を剃り、短パンを履いていたという。

私は、その時のおばあちゃんを知らない。

正確に何歳だったのかも、ここでは断定できない。本人から直接、戦争体験を聞いたわけでもない。実際に性被害に遭ったという話を聞いたわけでもない。

私が聞いたのは、被害を恐れて、そういう姿で過ごしていたという話だ。

それでも、重かった。

髪をどうするか。何を着るか。

普段なら好みで選ぶことが、身を守るための選択になる。

その話を、私は日本人として聞いていた。そして、そのおばあちゃんの晩年に、介護者として関わっていた。

その二つが、私の中に同時にあった。

だからといって、おばあちゃんが私をどう思っていたかを、私が代わりに語ることはできない。「国を越えた和解だった」などと、きれいな物語にもできない。

ただ、私が介護していた人には、そういう過去があった。

私の目の前にいた認知症のおばあちゃんは、戦争の時代を生き延び、そこから何十年もの人生を歩いてきた人だった。

子ども5人を、海外で学ばせられる家庭

この家族には、経済的な豊かさがあった。

お父さんは資産家だった。子ども5人をオーストラリアで学ばせ、そのうち2人は帰国したと聞いている。

子ども5人に海外教育の機会を用意する。

それは、簡単にできることではない。

お金があったから、広がった選択肢がある。学べたことがある。国を越えて暮らす道もあった。

ここを飛ばして、「お金なんて意味がない」と言うつもりはない。

家庭のお金を扱っている私が、そんな雑なことを言えるわけがない。

お金がないために選べないことはある。必要な助けを頼めないこともある。働く時間を減らしたくても、減らせないこともある。

お金は、人を助ける。

ただ、その家族を通して私が考えさせられたのは、その先だった。

お金がある。教育がある。能力がある。

それでも、人生には、簡単には解けない問題が残る。

娘さんは、両親を家で支えた

娘さんは、法律と地質学を学んだ人だった。

私は、能力のある人だと感じていた。

その娘さんが、両親をオーストラリアに呼び寄せた。両親は施設に入りたくなかった。その希望を尊重し、自宅での介護を選び、最期を支えた。

私は、そのお母さんの介護に関わった。

介護者として入る私と、家族としてそこにいる娘さんでは、立場が違う。

私の仕事には、担当する時間がある。

家族には、担当時間の外にも続く生活がある。介護だけでなく、親の暮らしについて考え、判断しなければならないことがある。

娘さんが、そのすべてをどう感じていたのか。何を後悔し、何に納得していたのか。私は、全部を知っているわけではない。

だから、「自分の人生を犠牲にした」と、私が決めつけることもできない。

でも、両親の希望を支えることが、言葉だけでは終わらない仕事だったことは分かる。

「親を大切にする」

その短い言葉の中には、実際には、長い時間と多くの判断が入っている。

愛情があるから、簡単になるわけではない。

親を支える家族の中で、資産をめぐる争いがあった

そして、この家族には、もう一つの問題があった。

資産をめぐる争いだ。

娘さんの説明では、お父さんがアルツハイマー病の初期だった頃、判断能力に問題がある状態で、弟が資産に関する書類へ署名させたのではないか、という疑いがあった。

その資産をめぐる裁判が、マレーシアで今も続いていると聞いている。

私は書類を確認したわけではないし、裁判の結論を知っているわけでもない。ここで、誰かを不正をした人として書くことはできない。

ただ、娘さんが、両親の介護と看取りだけでなく、こうした争いにも向き合っていたという話が、私の中に残っている。

親の体が衰えていく。

判断する力も、以前と同じではなくなっていく。

その時期に、家族の財産をめぐる問題が重なる。

お金は、暮らしを守るためにあるはずだ。

けれど、お金をめぐる争いが、家族の時間や気力を使わせることもある。

財産の金額だけを見ていたら、そこにいる人の負担は見えない。

能力がある人は、背負えてしまう

この娘さんのことを思い出すと、私は、能力についても考える。

勉強ができる。理解が早い。難しいことを調べられる。手続きに向き合える。問題が起きても、何とかしようと動ける。

それは、力だ。

でも、力がある人は、背負えてしまう。

ほかの人には難しいことも、できてしまう。途中で投げ出さず、次の問題にも対応できてしまう。

そうすると、「できる」と「引き受け続けられる」の境目が、見えにくくなることがある。

できるんだから、お願い。

分かるんだから、任せる。

そんな言葉が重なれば、能力のある人のところに、仕事や責任が集まっていく。

これは、娘さんの家族が実際にそう言ったという話ではない。この経験から、私が考えるようになったことだ。

能力があることと、負担に限りがないことは、別だ。

知識があっても疲れる。判断できても迷う。手続きができても、家族との争いが苦しくなくなるわけではない。

できる人にも、休める場所が必要だ。

私が「もっともっともっと」に引っかかる理由

私は今、「もっと」という言葉に、立ち止まることがある。

もっと稼ぐ。

もっと増やす。

もっと学ぶ。

もっとできるようになる。

それぞれに、意味はある。必要な時期もある。

でも、その「もっと」は、どこに向かっているんだろう。

何のために増やすのか。どこまであれば足りるのか。増えた先で、自分と家族の暮らしはどうなるのか。

そこを考えないまま、もっともっともっとと進み続けることが、私は怖い。

この家族が、欲張りだったと言いたいわけではない。

戦争を生き延びたお母さん。資産を持ち、子どもたちに海外教育を用意したお父さん。学ぶ機会を得て、能力を身につけた娘さん。

その人生には、努力も希望もあったはずだ。

それでも、介護や資産争いという現実があった。

だから私は、持っているものの多さと、その人の暮らしの安心を、同じものとして扱えなくなった。

もっと持てば、全部解決する。

そう言い切れるほど、人の生活は単純ではなかった。

「足りないぐらいがいい」と思うことがある

私は、つい言ってしまう。

「足りないぐらいがいいよ、やっぱり」

もちろん、食べるお金もないとか、必要な介護を受けられないとか、そういう不足を勧めたいわけではない。

私が考えているのは、すべてを際限なく増やし続けなくてもいい、ということだ。

何でも持たなくていい。

何でもできなくていい。

引き受けられることを、全部引き受けなくてもいい。

自分の生活を支えるために必要なものと、その先の「もっと」を、いったん分けて考えたい。

私は、家庭のお金を設計するとき、金額だけでなく、その人がどれだけ働けるか、どれだけ管理できるか、何に時間を使いたいかを考える。

お金を増やすために、生活の全部を使い切ってしまったら、そのお金で何をするんだろう。

家族を支えるために、一人の人が限界まで背負い続けるなら、その人の暮らしは誰が支えるんだろう。

「ここまででいい」

そう決める力も、家庭のお金には必要だと思っている。

これが、私のオフラインの経験だ

私は、こういうことを本の中だけで知ったわけではない。

実際に、その人の暮らしに関わった。娘さんの話を聞いた。介護という仕事の中で、家族の人生の一部分に触れた。

今はAIに聞けば、介護も、相続も、家計も、きれいに整理してくれる。

それは助かる。私も使う。

でも、文章が整理されたことと、現実の問題が解けたことは、同じではない。

「家族で話し合いましょう」

話し合える関係なら、すでに話しているかもしれない。

「専門家に相談しましょう」

相談した後にも、判断し、対応し、生活を続ける人がいる。

「本人の希望を尊重しましょう」

その希望を、実際に誰が、どんな条件で支えるのか。

言葉としては正しくても、現場では、その先を考えなければならない。

私がAI語も必要だと言うのは、便利な答えをもらうためだけではない。

出てきた答えを、現実の暮らしにつなげるためだ。

目の前の人の体力、家族関係、使えるお金、残された時間。その条件を見ながら、どこまで使える答えなのかを考える。

画面の中では省かれてしまう事情が、オフラインにはある。

私の経験は、そこにある。

私が渡したいのは、家庭のお金の「解き方」

戦争を生き延びたおばあちゃん。

その両親を、家で支えた娘さん。

経済的な豊かさも、教育も、能力もあった家族。

それでも、老いと介護と、資産をめぐる争いがあった。

私は、この家族の人生に、きれいな結論をつけられない。

娘さんの人生を、悲劇という一言だけで終わらせたくもない。両親の希望を支えた時間には、娘さん自身にしか分からない意味もあっただろう。

私に分かるのは、この経験が、私の家庭のお金への見方を変えたということだ。

貯蓄がいくらあるか。資産がどれだけ増えたか。

その数字は大事だ。

でも、その家で誰が疲れているのか。誰に判断が集まっているのか。誰が自分の時間を持てなくなっているのか。

そこも、同じくらい見たい。

私は、どの家庭にも当てはまる正解を持っていない。

でも、その家の条件から考えることはできる。

今、何を守る必要があるのか。何なら変えられるのか。誰が、どこまで引き受けられるのか。将来のために、何を準備しておくのか。

私は正解を持たない。解き方を持っている。

そう言うとき、私の中には、こうした人たちとの時間も入っている。

お金は、誰の暮らしを守るためにあるのか

ペナン生まれのおばあちゃんのことを、私は今も覚えている。

娘さんから聞いた、髪を剃り、短パンを履いていたという話も。両親を家で支えた娘さんのことも。その家族に、資産をめぐる争いがあったことも。

一つの家庭の中に、戦争、移住、教育、老い、介護、お金がつながっていた。

家庭のお金を考えるとは、そのつながりを見ることでもある。

増やすことだけを考えていたら、見えないものがある。

使うことだけを考えていても、見えないものがある。

誰のためのお金なのか。そのお金を守るために、誰が何を負担しているのか。最後に、その人たちはどう暮らしたいのか。

私は、そこを考えたい。

もっと、の前に。

私たちの家には、何があれば足りるのか。

このお金で、誰の暮らしを守りたいのか。

家庭のお金を考えるとき、私は今も、あの家族のことを思い出す。

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