ここまでの話を読むと
多くの人が同じ疑問を持つと思う。
もしお金が言語なら
なぜ学校は教えないのか。
英語や数学は教えるのに
お金はほとんど教えない。
これは少し不思議だ。
人は社会に出てから
死ぬまで
お金と付き合う。
それなのに
学校教育の中では
ほとんど扱われない。
なぜだろう。
学校は別の目的で作られた
まず一つ理解しておきたいことがある。
今の学校制度は
もともと
お金を教えるために作られたわけではない。
近代の学校制度は
19世紀から20世紀にかけて整えられた。
その目的は
産業社会の人材を育てること。
つまり
- 読み書き
- 計算
- 規律
- 協調
こうした能力を
社会全体に広げることだった。
その時代は
個人が投資をしたり
金融商品を扱ったりする社会ではなかった。
だから
金融教育は
教育の中心にはならなかった。
家庭で学ぶものだった
もう一つの理由は
お金は
家庭で学ぶもの
と考えられていたことだ。
昔の社会では
農業
商売
職人
親の仕事が
生活のすぐ近くにあった。
子どもは
親の働き方を見ながら
自然に
- お金の流れ
- 仕事
- 商売
を学んだ。
つまり
金融言語は
生活の中に存在していた。
社会が大きく変わった
しかし現代は違う。
多くの人は
会社員として働く。
家庭の中で
仕事を見る機会は少ない。
それでも
社会の金融システムは
どんどん複雑になっている。
住宅ローン
保険
投資
税
人生の重要な判断の多くが
お金に関係している。
それなのに
金融言語を
体系的に学ぶ場所は
ほとんどない。
知識は増えている
最近は
金融教育の必要性も
少しずつ認識されてきている。
投資教育
家計教育
金融リテラシー
こうした言葉も
よく聞くようになった。
でも
ここで大事な問題がある。
多くの金融教育は
知識
を教えている。
まだ言語になっていない
株
投資
利回り
こうした情報は増えている。
でも
文法は教えられていない。
資産
負債
キャッシュフロー
こうした
お金の文法
が共有されていない。
だから
理解がつながらない。
本当の疑問
ここで
もう一つの疑問が生まれる。
もし金融教育の必要性が
認識されているなら
なぜ教育はなかなか変わらないのか。
次の記事では
この問いを
もう少し深く考えてみたい。
このシリーズは「お金の前提」にまとめてあります。


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