お金は言語である|第4話 なぜ学校はお金の言語を教えないのか

ここまでの話を読むと
多くの人が同じ疑問を持つと思う。

もしお金が言語なら
なぜ学校は教えないのか。

英語や数学は教えるのに
お金はほとんど教えない。

これは少し不思議だ。

人は社会に出てから
死ぬまで

お金と付き合う。

それなのに

学校教育の中では
ほとんど扱われない。

なぜだろう。


学校は別の目的で作られた

まず一つ理解しておきたいことがある。

今の学校制度は
もともと

お金を教えるために作られたわけではない。

近代の学校制度は
19世紀から20世紀にかけて整えられた。

その目的は

産業社会の人材を育てること。

つまり

  • 読み書き
  • 計算
  • 規律
  • 協調

こうした能力を
社会全体に広げることだった。

その時代は

個人が投資をしたり
金融商品を扱ったりする社会ではなかった。

だから

金融教育は
教育の中心にはならなかった。


家庭で学ぶものだった

もう一つの理由は

お金は

家庭で学ぶもの

と考えられていたことだ。

昔の社会では

農業
商売
職人

親の仕事が
生活のすぐ近くにあった。

子どもは

親の働き方を見ながら
自然に

  • お金の流れ
  • 仕事
  • 商売

を学んだ。

つまり

金融言語は
生活の中に存在していた。


社会が大きく変わった

しかし現代は違う。

多くの人は

会社員として働く。

家庭の中で
仕事を見る機会は少ない。

それでも

社会の金融システムは
どんどん複雑になっている。

住宅ローン
保険
投資
税

人生の重要な判断の多くが
お金に関係している。

それなのに

金融言語を
体系的に学ぶ場所は
ほとんどない。


知識は増えている

最近は

金融教育の必要性も
少しずつ認識されてきている。

投資教育
家計教育
金融リテラシー

こうした言葉も
よく聞くようになった。

でも

ここで大事な問題がある。

多くの金融教育は

知識

を教えている。


まだ言語になっていない

株
投資
利回り

こうした情報は増えている。

でも

文法は教えられていない。

資産
負債
キャッシュフロー

こうした

お金の文法

が共有されていない。

だから

理解がつながらない。


本当の疑問

ここで
もう一つの疑問が生まれる。

もし金融教育の必要性が
認識されているなら

なぜ教育はなかなか変わらないのか。

次の記事では

この問いを
もう少し深く考えてみたい。

このシリーズは「お金の前提」にまとめてあります。

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