子どもの頃の私は、
母の生活をよく理解していなかった。
家計簿をつけること。
手作りの生活。
友の会。
母は、いつも淡々と生活を整えていた。
でも今になって思う。
母は、ただ生活していたのではなかった。
家族の生活を守っていた。
高校三年の頃、
私たちの生活は少し特殊な形になっていた。
長崎。
筑波。
三島。
三つの場所で生活していた。
父の転勤と、
子どもたちの学校の事情が重なり、
家族が同じ場所で暮らすことができなかった。
当時の私は、
それを特別なことだとは思っていなかった。
でも今になって考えると、
三つの生活を支えるということは、
家賃。
生活費。
学費。
すべてが重なっていくということだった。
きっと家計は、
かなり厳しかったのだと思う。
でも母は、
そんなことを一言も言わなかった。
私たち子どもは、
何も知らずに生活していた。
最近になって、叔母からある話を聞いた。
あの頃、母の下着と寝間着は
ボロボロだったらしい。
私は気づかなかった。
母はいつも、
上に着る服はきちんとしていたからだ。
品のいい服を着て、
何事もない顔で生活していた。
だから私は、
母がそんな生活をしていたなんて
想像もしなかった。
その後も転勤は続いた。
仙台。
そして新潟。
父が59歳のとき、
新潟でくも膜下出血で亡くなった。
定年後の就職先は札幌に決まっていた。
札幌の家も決まっていた。
新しい生活が始まるはずだった。
でもすべてが、
突然止まった。
母は、職場への連絡をし、
決まっていた札幌の家を解約する手続きもしなければならなかった。
それでも母は、
とても気丈だった。
その後も母は、
淡々と生活を続けていた。
そしてカイトが生まれる年。
そこで初めて、
母はうつになった。
今思えば、
それまでずっと張りつめていたのだと思う。
それでも母は、
長い人生を気丈に生きてきた。
本当にすごい人だと思う。
私は母の思想を、
あとから理解した。


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