母の家計簿から始まった人生|第2話 母は生活を設計する人だった

子どもの頃の私は、母の生活をよく理解していなかった。

紙の家計簿。
友の会。
手作りの服と食べ物。

それはどこか時代遅れに見えて、
私は少し距離を置いて見ていた。

でも今になって思う。

母は、ただ生活していたのではなかった。

生活を設計していた。

母は函館の函館遺愛学院高等学校に通っていた。

中高一貫の女子校で、当時としては珍しい環境だったと思う。

その後、父とお見合いで結婚した。

父は公務員。
母は専業主婦。

結婚した直後、二人は徹底的に話し合ったという。

生活のこと。
お金のこと。
子どものこと。

話し合いに話し合いを重ねて、
少しずつ生活をすり合わせていったらしい。

父は公務員として働き、
母は家計を管理する。

母は自分のことを冗談まじりに
**「財務大臣」**と言っていた。

家計はすべて予算制だった。

収入の中で生活を組み立てる。

そのために母は、毎日家計簿をつけていた。

母は、年子の姉妹を育てていた。

姉を出産したあと、
私を妊娠しているときに切迫流産になり、
母は長い間、絶対安静だったらしい。

その間、姉の世話は父がしていたはずだ。

細かいことはもう分からない。

でも今思えば、
父は無意識に姉をえこひいきしていた。

父本人にも、
きっと自覚はなかったと思う。

あの頃は、父と姉が
自然と一緒にいる時間が長かったのだろう。

子どもの頃は、それが少し不思議だった。

でも大人になった今なら分かる。

家族の形は、
そのときの状況で静かに作られていくものなのだ。

父の仕事は転勤が多かった。

函館。
帯広。
函館。
横浜。
旭川。
広島。
長崎。
筑波。
仙台。
新潟。

日本をほとんど縦断するような転勤生活だった。

母は、転勤に文句を言うことは一度もなかった。

引っ越しの準備も、
慣れたものだった。

新しい土地へ行くたびに、
生活を一から整えていく。

住む場所。
食事。
家計。
子育て。

子どもの私は、
その様子を見ながら思っていた。

すげえ女だな。

引っ越しを重ねるたびに、
その思いは強くなっていった。

環境が変わっても、
母の生活の軸は変わらなかった。

家計簿も、
手作りの生活も、
ずっと続いていた。

気がつけば、母の生活は
四十年以上ほとんど変わっていない。

当時の私は、それを
「細かい人だな」と思っていた。

でも今は分かる。

母はただ節約していたのではない。

生活を整え、人生を守っていた。

そして私は今、
その思想の延長線上に立っている。

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