見える貧困、見えない貧困|第2話

移民は本当に困っていないのか

第1話を書いたあと、ずっと考えていた。

「移民はホームレスにならない」のではなく、

“見え方が違う”

だけなのではないかと。

実際、オーストラリアで生活していると、
移民系コミュニティは本当にギリギリまで耐える。

例えば、

1つの家に何家族も住んだり、
リビングにマットレスを敷いたり、
親戚を転々としたり、
知人宅を泊まり歩いたり。

外から見ると普通の家。

でも中では、かなり限界状態。

こういう“見えない困窮”は実際かなり多い気がする。

特に移民は、

・住所
・仕事
・学校
・ビザ
・コミュニティ

全部が繋がっている。

だから一度“外”に出ると、人生システムそのものが崩れやすい。

だからこそ、限界まで内側で耐える。

しかもアジア系は特に、

「人に迷惑をかけてはいけない」

「外に見せてはいけない」

感覚が強い。

日本人もかなり近いと思う。

だから同じ困窮でも、

オージーは“外に見える貧困”になりやすく、
移民は“室内に隠れる貧困”になりやすい。

これはどちらが良い悪いではなく、文化の違い。

でも最近思う。

“見えていない”だけで、
実はかなり多くの人がギリギリの場所で踏ん張っているのではないかと。

特に今のオーストラリアは、

家賃高騰、物価上昇、住宅不足。

普通に働いていても、安心できる時代ではなくなってきている。

だからこそ私は最近、

「ホームレス=公園にいる人」

だけではない気がしている。

見えていないだけで、
すでに崩れかけている生活は、案外すぐ近くにあるのかもしれない。

続く。

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