介護で一番つらかったのは、本人の苦しそうな姿だけではありません。
私だけが現実を見えていたことです。
私は4年間、重度認知症の方の在宅介護に入りました。
娘さんと二人三脚で、最期まで支えました。
娘さんは60代、未婚、子どもなし。
以前には父親も自宅で看取り、その後、母親の介護も引き受けていました。
母親は施設に入りたくない。
その意思を娘さんは強く尊重していました。
でも現実は、理想だけでは進みません。
介護初期なら、できることを奪わないことが大切です。
着替え、食事、排泄、歩行、会話。
できることを残すことが尊厳につながります。
赤ちゃん扱いも絶対にしてはいけません。
年を取って弱っても、その人は人生を生き抜いてきた大人です。
けれど終末期になると、また問いが変わります。
最後の頃、お母さんは痰が絡み、胸のあたりがゴロゴロ鳴っていました。
吸引機もなく、2時間近くかけて痰を出すこともありました。
それでも娘さんは飲ませ、食べさせようとする。
私は見ていて苦しかった。
本人は本当にそれを望んでいるのか。
でも、もう伝えることはできません。
娘さんを責める気持ちはありません。
そうせざるを得ない精神状態だったと思います。
介護は長引くと、人を追い込みます。
母を生かすことが、自分の使命になる。
介護を続けることが、自分の存在意義になる。
そうなると、やめることは裏切りに感じます。
娘さんは信仰心が深く、毎晩、神への祈りの歌を10曲ほど書いていました。
私は毎朝それを聞く係でした。
宗教心の薄い私には、少し怖いほどの依存にも見えました。
でも今ならわかります。
人は極限まで追い込まれると、何かにすがらなければ立っていられないことがあります。
ある日、私が一週間の休みを取って戻ると、お母さんは低体温で、痰もひどく絡んでいました。
これはもう危険だと思いました。
私は娘さんに、救急車を呼んでくださいと伝えました。
娘さんは渋々、電話をしました。
あの家の中で、私だけが現実を見ている気がしました。
でも今思うのです。
介護現場には、感情で支える人も必要です。
そして、現実を見る人も必要です。
優しさだけでは救えない場面があります。
介護初期は、できることを奪わないこと。
終末期は、苦しみを長引かせないこと。
どちらも尊厳です。
介護は、生かすことだけが目的ではありません。
その人らしく、人生を閉じられるよう支えること。
私はあの4年間で、それを学びました。
家計設計屋より


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