母は長い転勤生活を生きてきた。
函館から始まり、
帯広、横浜、旭川、広島、長崎、筑波、仙台、新潟。
父は公務員として働き、
母はその隣で家計を支え続けてきた。
家計簿をつけ、
生活を整え、
家族を守ってきた。
父は59歳でくも膜下出血で亡くなった。
その年、父はマンションを買っていた。
五稜郭タワーの横のマンションだった。
父はそのマンションに、
一度も住むことはなかった。
新しい生活が始まるはずだった。
定年後の就職先も札幌に決まり、
札幌の家も決まっていた。
でもすべてが、
突然止まった。
父が亡くなったあと、
母はそのマンションで一人で暮らし始めた。
そして今も、
そのマンションで暮らしている。
父は結局、
自分の買ったマンションに住むことはなかった。
でも今になって思う。
あのマンションは、
父から母への愛の贈り物だったのかもしれない。
私は長崎で高校を卒業したあと、
短大進学で名古屋へ出た。
卒業後、そのまま名古屋で就職した。
名古屋で一人暮らしをしていた私の家に、
父がよく泊まりに来ていた。
出張のついでだったり、
ただ顔を見に来たり。
私と父はよく二人で飲みに行った。
いろんなことを話した。
その時、父はよく言っていた。
母のことを。
母を愛していること。
母を尊敬していること。
それを娘の私に、
恥ずかしげもなく話していた。
私はその父を見て思っていた。
すげえ男だな。
母は、そんな父と
長い人生を生きてきた。
そしてやっと
穏やかな老後が始まっていた。
そんな時だった。
私が脳出血で倒れた。
夫をくも膜下出血で亡くしている母にとって、
それはきっと
耐え難い出来事だったと思う。
それでも母は、
静かに受け止めていた。
母はずっと、
そうやって人生を生きてきた。
生活を整え、
家族を守り、
何も言わずに背負ってきた。
私は母の思想を、
あとから理解した。
このブログは、
母から教わった生活の思想を
次の世代に渡すために書いている。
そして同時に、
これは母へのラブレターでもある。
愛と尊敬を込めて。
生きているうちに間に合った。


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