死をどう意味づけるか
私は2か月、意識がなかった。
ICU。
家族は横にいた。
あとから知った。
生存率は2.3%だった。
ほぼ死ぬ側の数字だ。
でも私は生きている。
神に祈る気持ちはわかる
2.3%と聞いたとき、思った。
これが自分の子どもだったら。
これが夫だったら。
神に祈る気持ちはわかる。
でも、ふと立ち止まる。
何の神だろう。
キリストの神か。
仏の神か。
八百万の神か。
それとも、ただの“お願い”か。
人は、
何か“超える存在”に向かって手を伸ばす。
でもその対象は、文化によって違う。
宗教は何をしているのか
宗教は奇跡を保証していない。
でも、
死の恐怖を
意味の中に置き直している。
神の計画。
試練。
救済。
来世。
死を“物語の中”に置く。
だから耐えられる。
私には物語がなかった
私は何も見なかった。
光もない。
声もない。
神もいない。
空白。
でも生きている。
だから私は、
奇跡を語れない。
でも、
祈る人の心理構造は理解できる。
2.3%は冷たい数字だ。
人間は数字だけでは耐えられない。
神は誰か、ではなく
もしかすると重要なのは、
「どの神か」ではない。
“自分より大きな何か”を想定できること。
その想定が、
心を壊れにくくする。
宗教は事実の説明ではなく、
恐怖の処理装置かもしれない。


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