母の家計簿から始まった人生|まとめ 母から受け継いだ生活の思想

このシリーズを書きながら、
私は母の人生を改めて振り返っていた。

子どもの頃は、
母の生活をよく理解していなかった。

家計簿。
友の会。
手作りの生活。

私の周りにはそんな家庭はなくて、
正直少し恥ずかしいと思っていた。

でも今になって思う。

母がやっていたのは
節約でも、我慢でもなかった。

生活を設計するという思想だった。

父は公務員で転勤が多く、
私たち家族は日本を縦断するような生活をしてきた。

函館。
帯広。
横浜。
旭川。
広島。
長崎。
筑波。
仙台。
新潟。

環境が変わるたびに、
母は生活を一から整えていた。

家計。
食事。
子育て。

その生活は四十年以上、
ほとんど変わらなかった。

高校生の頃、
家族の生活が三つに分かれていた時期があった。

長崎。
筑波。
三島。

当時の私は何も思わなかった。

でも今思えば、
学費と生活費を支える家計は
かなり大変だったはずだ。

その頃、母の下着と寝間着は
ボロボロだったと最近知った。

私は気づかなかった。

母はいつも
上に着る服はきちんとしていたからだ。

品のいい服を着て、
何事もない顔で生活していた。

父は59歳でくも膜下出血で亡くなった。

その年、父は
五稜郭タワーの横のマンションを買っていた。

父はそのマンションに
一度も住むことはなかった。

でも今も母は、
そのマンションで暮らしている。

あのマンションは、
父から母への愛の贈り物だったのかもしれない。

私は母の思想を、
あとから理解した。

このブログは、
母から教わった生活の思想を
次の世代へ渡すために書いている。

そして同時に、
これは母へのラブレターでもある。

愛と尊敬を込めて。


このシリーズは、次の順番で読むことができます。

第1話
母の家計簿が嫌いだった

第2話
母は生活を設計する人だった

第3話
母が黙って背負っていたもの

第4話
このブログは母へのラブレター

おまけ
母は私の中の大谷翔平

この話は「思考の前提」カテゴリにまとめてあります。

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