我が家は、転勤族だった。
函館。
横浜。
旭川。
広島。
長崎。
筑波。
仙台。
新潟。
これだけ、
場所を変えて歩いている。
環境が変われば、
生活は簡単に崩れる。
土地勘がない。
知り合いもいない。
勝手も分からない。
普通なら、
不安が先に立つ。
でも、
母はブレなかった。
少なくとも、
私の記憶の中では。
なぜだろうと、
後になって考える。
たぶん、
全国に友の会があったから
なのではないかと思う。
どの土地に行っても、
同じ前提で話ができる場所がある。
家計。
時間。
役割。
段取り。
土地が変わっても、
生活の言語が共通。
人が変わっても、
話が通じる。
ゼロから
自分のやり方を
説明しなくていい。
転勤のたびに、
母は
新しい土地に適応したというより、
同じ構造に、
場所を当てはめ直していた
だけだったのかもしれない。
新潟で、
父は
くも膜下出血で逝った。
それでも、
生活は止まらなかった。
悲しみがなかった、
という意味じゃない。
回す前提が、
すでにあった。
誰かが倒れても、
全部がゼロにならない。
それは、
強さじゃない。
構造が先にある生活
だっただけだ。
これだけ転勤しても、
母がブレなかった理由。
それは、
性格でも、根性でもない。
全国に、
同じ前提を共有できる場所があった。
ただ、それだけだったのではないか。
(つづく)
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