神を持たない私の宗教ノート|第5話

死をどう意味づけるか

私は2か月、意識がなかった。

ICU。
家族は横にいた。

あとから知った。

生存率は2.3%だった。

ほぼ死ぬ側の数字だ。

でも私は生きている。


神に祈る気持ちはわかる

2.3%と聞いたとき、思った。

これが自分の子どもだったら。

これが夫だったら。

神に祈る気持ちはわかる。

でも、ふと立ち止まる。

何の神だろう。

キリストの神か。
仏の神か。
八百万の神か。
それとも、ただの“お願い”か。

人は、

何か“超える存在”に向かって手を伸ばす。

でもその対象は、文化によって違う。


宗教は何をしているのか

宗教は奇跡を保証していない。

でも、

死の恐怖を
意味の中に置き直している。

神の計画。
試練。
救済。
来世。

死を“物語の中”に置く。

だから耐えられる。


私には物語がなかった

私は何も見なかった。

光もない。
声もない。
神もいない。

空白。

でも生きている。

だから私は、

奇跡を語れない。

でも、

祈る人の心理構造は理解できる。

2.3%は冷たい数字だ。

人間は数字だけでは耐えられない。


神は誰か、ではなく

もしかすると重要なのは、

「どの神か」ではない。

“自分より大きな何か”を想定できること。

その想定が、

心を壊れにくくする。

宗教は事実の説明ではなく、

恐怖の処理装置かもしれない。

コメント