第1話|発症 ― 海の上で前提が壊れた日
ゴールドコーストでボート生活を始めて7年目に、私は脳出血を起こした。
発症したのは Ipswich。
芋が救急車を呼び、Ipswich Hospital に搬送された。
そこでCTを撮り、出血が確認された。
その後、ブリスベンの Princess Alexandra Hospital(PA Hospital) のICUへ搬送。
ICUに約5日。
一般病棟に約2週間。
そこから Gold Coast Hospital へ移送された。
ここまでの記憶は、ない。
完全に空白だ。
記憶が戻ったのはGold Coast Hospitalだった
自分の記憶が戻っていると感じるのは、Gold Coast Hospital に移ってからだ。
ただ、いつ明確に戻ったのかは分からない。
ある瞬間から急に、ではない。
ぼんやりと、断片的に。
それ以前の約2ヶ月は、存在しない時間になっている。
Princess Alexandra Hospitalでの断片
PA Hospitalでの記憶は、写真のように切り取られている。
蛍光の黄色い仕事着を着た友人。
男性看護師がシャワーをしてくれたこと。
ベッドの柵に掴まって立とうとしていたこと。
物語にはなっていない。
場面だけが浮かぶ。
尊厳の感覚も壊れていた
私はベッドの上で排泄をしていた。
それは重症患者なら普通のことだ。
でも後から芋に聞いた。
私は自分の排便を掴み、投げていたらしい。
覚えていない。
驚きはした。
でも納得もした。
脳が壊れるとは、こういうことだ。
理性も、羞恥も、判断も、一時的に消える。
自分は正常だと思っていた
入院中、私は自分をほぼ回復していると思っていた。
ある日、リハビリ病棟を出て病院内で迷子になった。
リハビリ病棟は隔離病棟で、
パスコードを入力しないとドアは開かない。
どうやって出たのかは分からない。
きっと誰かの後ろについて出たのだろう。
迷っている途中、リフトの中で芋と子どもたちに遭遇した。
芋に怒られたのは覚えている。
でもその時、本気で思っていた。
「なんで怒られるの?」
自分は普通に動いているだけだと信じていた。
存在しない予定を信じていた
別の日曜日。
私は「今日は病院外施設でリハビリの予約がある」と確信していた。
そんな予定はない。
でも本気だった。
バックパックを背負い、病棟を出ようとしてナースステーションで止められた。
止められる理由が分からなかった。
自分がおかしいとも思っていなかった。
壊れている自覚がない。
それが一番怖い。
私の知らない時間
同じ時期、日本から姉と母が来ていた。
私の死に目に会いに来たと、後で聞いた。
会った記憶はない。
生存率は2〜3%だったとも聞かされた。
その数字に実感はない。
ただ、事実として重い。
退院して初めて気づいたこと
左手の麻痺に本当に気づいたのは退院後だった。
キーボードを打つとき、
薬指と小指の動きが鈍い。
洗濯物を畳むと、体力が吸い取られる。
柔らかいものの扱いが苦手になった。
刺身を切ろうとすると、身を潰す。
魚の皮が引けない。
ジャガイモの皮を剥くのが嫌いになった。
大体のことはできる。
でも、すぐ疲れる。
以前は怪力で名をはせていた。
今は持てるが、踏ん張れない。
小さな差だが、確実に違う。
不安定なのは場所ではない
私たちはゴールドコーストでボート生活をしていた。
よく言われる。
「ボート生活は不安定だ」と。
でも脳出血を経験して分かった。
不安定なのは住居ではない。
人間の身体そのものが不安定だ。
陸でも海でも同じ。
血管一本で世界は止まる。
前提が壊れるということ
壊れたのは身体だけではなかった。
私という前提そのものだった。
それでも、命は残った。
家族も残った。
ボート生活の基盤も残った。
ここから、暮らしの再設計が始まる。
次回は、
なぜ私たちは陸に降りなかったのかを書いていく。


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