電気は文明ではなく安心だった|ボート生活で気づいたインフラの前提

ボート生活をしていると、はっきり分かる瞬間がある。

電気は、文明じゃなかった。

安心だった。

陸の家では、電気は空気のような存在だ。
あって当然。止まる前提がない。

でも海の上では違う。

雨が続き、ソーラーパネルが発電しない。
バッテリー残量が減っていく。

そのとき初めて気づく。

冷蔵庫の低い唸り音。
Wi-Fiの接続マーク。
充電中の小さな雷マーク。

あれは全部、「生活が守られている」というサインだった。

灯りがつくことに安心していたんじゃない。
止まらないことに安心していた。

文明は目に見える。

高層ビル。
ショッピングモール。
高速道路。

でも安心は目に見えない。

コンセントに差せば充電できる。
冷蔵庫は常に冷えている。
ネットはいつでもつながる。

壊れないという前提。

それが「安心」の正体だった。

ボート生活では、その前提が毎日揺れる。

太陽が出るかどうかで、
生活の安定度が変わる。

風より怖いのは曇りだ。

発電できないという事実が、
じわじわ心理を削る。

バッテリー残量を何度も確認する。

安心は、残量と連動していた。

都市生活は巨大な電力システムの上に乗っている。
止まらない前提で設計された世界。

でもその世界も、
見えないところで誰かが守っている。

ボートの上では、それが全部見える。

電気が減ると、安心も減る。

だから分かる。

私たちは文明に守られているのではなく、
「安定」に守られている。

電気は便利だからありがたいのではない。

止まらないから、安心なのだ。

電力不足。

でも——

文明の音が小さくなるほど、
安心の正体がはっきりする。

暗い夜は、不安を連れてくる。

同時に、前提を剥がす。

そして気づく。

当たり前は、全部条件付き。

この話は「前提|ボート生活」カテゴリにまとめてあります。

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