この前、
知人と教育の話をしていた。
その家庭の末っ子は、
いわゆる
結果がすぐに数字に出ないタイプ。
努力はしている。
環境も整えている。
でも、成績や評価には
なかなか反映されにくい。
チューターをつけることも、
選択肢として考えている、
という話だった。
その流れで、
私はこう言った。
「もし、
結果が出るまでに
時間がかかるタイプなら、
日本より
オーストラリアの教育のほうが
合う場合もあるんじゃないかな。」
それ以上、
理由を説明したわけでもない。
判断を押しつけたわけでもない。
ただ、
前提の違いとして
そう口にしただけ。
日本の教育は、
結果や評価が
比較的早い段階で
はっきり見える。
それは、
多くの子を救ってきた
底上げの仕組みでもある。
一方で、
結果が出るまでに
時間がかかるタイプの子にとっては、
「まだ途中」より先に
「遅れている」という空気を
感じやすい側面もある。
一方、
オーストラリアの教育は、
評価のスピードが
全体的にゆるやかだ。
伸びる時期も、
形も、
スピードも、
バラバラでいい前提。
その代わり、
結果が出ない時間は
本当に静かだ。
助けも、
評価も、
かなり遅れてやってくる。
そのあと、
相手はこう言った。
「でも、日本には
落ちこぼれないように
全体を支える仕組みがあるでしょ。
だから教育そのものは、
日本で受けさせたかった
気持ちも正直あるんだよね。」
ここで、
話はきれいに分かれた。
どちらが正しい、ではない。
前提が違う。
日本は、
「脱落させない」前提。
オーストラリアは、
「揃えない」前提。
底上げに守られる子もいれば、
比較されないことで
やっと力を出せる子もいる。
この話で言いたいのは、
国の良し悪しじゃない。
結果が出ない時間を、
どう扱う前提の教育か。
「遅れ」と見るか。
「途中」と見るか。
私はただ、
結果が出ないタイプの子にとっては、
この前提の違いは
かなり効くよね、
と思っている。
教育は、
制度を選ぶ話じゃない。
前提をどう置くかの話。
このシリーズは、
そういう前提の違いを
静かに言葉にしていく教育の話で、
文脈としては
#教育 #子育て #前提 #結果が出ない時間 #日本とオーストラリア #底上げ教育
そんな場所に置いてある。


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