介護の地獄 第6話|どこで降りられた人と、降りられなかった人の違い

介護の地獄から
降りられた人がいる。

一方で、
最後まで降りられなかった人もいる。

この違いは、
覚悟でも
愛の深さでも
人格でもない。

降りる“仕組み”があったかどうか。
それだけだ。


降りられた人に共通しているのは、
たった一つ。

「自分が限界を決めていい」と
どこかで許されていたこと。

それは
本人が自分に許した場合もあるし、
誰かが線を引いてくれた場合もある。

重要なのは、
自分の理性が“使える状態”に戻れたかどうか


降りられなかった人には、
はっきりした共通点がある。

・限界を決める権限がなかった
・止め役がいなかった
・「やめる=裏切り」になっていた

つまり、
降りる選択肢が存在しなかった。


多くの介護者は、
こう思っている。

もう少ししたら
何かあったら
限界が来たら

でも現実は逆だ。

限界が来たとき、人はもう決断できない。

第5話で書いた通り、
その頃には
判断力も
自己信頼も
すでに削られている。

だから降りられない。


降りられた人が
必ずやっていたことがある。

それは
「壊れる前に、
誰かに決断を委ねた」こと。

・医師
・ケアマネ
・第三者
・制度

感情の当事者ではない存在に、
判断を預けた。

これは逃げじゃない。

安全装置だ。


一方、
降りられなかった人は、
判断を手放さなかった。

いや、
手放せなかった。

・私が決めなきゃ
・私が責任を取らなきゃ
・私が壊れるしかない

この状態に入ると、
介護はもう
役割じゃない。

自己同一化になる。


介護で一番怖いのは、
この瞬間だ。

「やめたら私じゃなくなる」
そう感じ始めたとき。

ここまで来ると、
外からの助言は
ほぼ届かない。


私は知っている。

降りられなかった側の
思考を。

分かっていた。
止めるべきだと知っていた。

でも、
止めるための構造がなかった。

それだけだ。


だから、
これだけははっきり言える。

介護は
「やめ方」を
最初に決めなければならない。

・どこまでやるか
・どこからやらないか
・誰が止めるか
・どの条件で降りるか

これがない介護は、
必ず人を壊す。


次の話では、
なぜ私は
介護職そのものを
続けられなくなったのかを書く。

それは
弱さの話じゃない。

後遺症の話だ。


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