介護の地獄 第3話|「本人の希望を尊重する」という名の放棄

介護の現場で、
一番よく聞く言葉がある。

本人が施設は嫌だと言っているから
本人の希望を尊重したいから

一見、
とても正しくて
とても優しい判断に見える。

でも、
この言葉が出た瞬間、
介護は一気に歪み始める。


はっきり言う。

「本人の希望を最優先する介護」は、
美徳でも愛でもない。

それは、
責任の置き場所を曖昧にする行為だ。


本人は、
衰えていく自分を受け入れられない。

・家を離れたくない
・他人に世話されたくない
・今まで通りでいたい

それは当然だ。

でも、
その「当然」を
誰が支えているのか。

その問いが、
この言葉の裏にすっぽり抜け落ちる。


在宅介護を選んだとき、
実際に起きていることはこうだ。

・本人は「今まで通り」を主張する
・家族は「何とかなる」と思い込む
・介護者が生活と人生を削る

そして誰も、
責任を引き受けていない。


本人の希望は、
願望だ。

判断ではない。

しかも
介護が必要な状態にある人は、
その判断能力自体が
すでに揺らいでいることが多い。

それなのに、

本人がそう言っているから

で決めてしまうのは、
決断を放棄しているのと同じだ。


本来、
介護における「決断」は
こうあるべきだ。

・誰が担うのか
・どこまで担うのか
・限界が来たらどうするのか
・誰が責任を負うのか

これを整理した上で、
本人の希望を“参考情報”として扱う。

逆だ。

希望を軸にしてはいけない。


「本人の希望を尊重する」という言葉が
一番残酷になるのは、
壊れるのが、本人ではないとき

壊れるのは
介護者だ。

でもその壊れ方は、
外からは見えない。

少しずつ
生活が削れ
仕事が削れ
人間関係が削れ
判断力が削れていく。

それでも周囲は言う。

でも本人が望んでるんでしょ?

この一言で、
介護者は完全に孤立する。


私はこの構造を、
何度も見た。

そして、
中にいた。

「本人のため」という言葉は、
ときに
誰の人生も守らない免罪符になる。


介護に必要なのは、
優しさじゃない。

線引きだ。

・できること
・できないこと
・やらないこと
・降りる条件

それを決めない限り、
どんなに善意でも
介護は人を壊す。


次の話では、
この歪んだ介護に
宗教・祈り・善意が重なったとき、
何が起きるのかを書く。

ここから先は、
狂気の話になる。


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