日本人が宗教問題を「他人事」にできる理由|2話目

日本人の「無宗教」は、本当に無宗教なのか

日本人はよく言う。
「私、無宗教です」

でも、
それは信仰がないという意味だろうか。


たとえば 日本 で生きていると、
誰もが無意識に守っているものがある。

・空気を読む
・和を乱さない
・みんなと同じでいる
・目立たない
・波風を立てない

これ、
教義じゃない。
でも行動規範としては、かなり強い。


宗教が
「神との約束」だとしたら、
日本のそれは
社会との約束

破るとどうなるか。

・浮く
・面倒な人になる
・空気が悪くなる
・説明を求められる

罰はない。
でも居心地が悪くなる。

この“圧”は、
かなり効く。


海外の宗教は、
「私はこれを信じている」と
言語化される。

日本の宗教性は違う。

語られない。
説明されない。
でも、
外れると分かる


だから日本では、
宗教対立が起きにくい。

みんなが
強く主張しないから。

正義を掲げないから。
自分の価値観を
前に出さないから。


無宗教という言葉は、
ある意味で
最大公約数の免罪符だ。

「特別な主張はありません」
「みんなと同じです」

この一言で、
衝突を避けられる。


多様性国家から見ると、
これはかなり特殊。

信仰を持つ自由がある代わりに、
信仰を表に出さない自由
ここまで強い国は少ない。


だから日本人は、
海外の宗教問題を
他人事として見られる。

自分の生活に、
宗教が
衝突要因として存在しないから。


でも同時に、
この「無宗教」は
とても脆い。

強い信仰を持つ人が入ってきた時、
どう扱えばいいか、
分からなくなる。

受け止め方も
線の引き方も
用意されていない。


日本は、
宗教がない国ではない。

別の形で、宗教的な国だ。

だから
問題が起きにくく、
同時に
起きた時に弱い。


次は、
なぜ日本では「宗教を理由にした特別扱い」が通りにくいのか。
暗黙の平等ルールの話に進む。


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