多様性オーストラリア|共存はする、融合はしない

⑤ 差別はある。でも制度にはしない

先に正直に書いておく。
オーストラリアに差別はある。

人種。
アクセント。
名前。
見た目。

個人レベルの偏見は、普通に存在する。

「多様性の国だから差別はない」
それは完全に幻想だ。

ただ、日本と決定的に違うのはここだ。
差別を“制度”にしにくい。

オーストラリアでは、
差別は「思想」ではなく「リスク」として扱われる。

差別的な発言や扱いは、
即クレーム、即記録、即トラブルになる可能性がある。
企業も学校も行政も、
一番嫌うのは「面倒な問題」だ。

だから、
個人がどう思っているかとは別に、
表に出せない。続けられない。

ここが大きい。

偏見は消えない。
でも、構造として固定化しにくい。

評価は、
どこの国の出身かより、
何ができるか。
今、役に立つか。

英語に訛りがあっても、
仕事が回れば問題にならない。
移民でも、
成果を出せばポジションは取れる。

逆に、
白人であっても、
能力がなければ普通に落ちる。

この「冷たさ」は、
時に残酷に見えるけれど、
同時にフェアでもある。

日本のように、
空気で決まる序列。
暗黙の了解で続く不利。
それが制度として残り続ける社会とは違う。

もちろん、
完璧な国ではない。

差別的な人もいるし、
露骨な場面に出くわすこともある。

でも、
それが社会全体のルールになることは少ない。

オーストラリアは、
人を「信用する国」ではない。
ルールで縛る国だ。

だから、
個人の善意に期待しない。
正しさに賭けない。
構造で止める。

多様性が成立している理由は、
人が優しいからじゃない。
人が信用できない前提で設計されているからだ。

共存はする。
でも、融合はしない。

そして、
差別はある。
でも、制度にはしない。

それが、
この国が20年以上壊れずに回っている理由だと思っている。

次は、
都市部と地方で、なぜここまで違うのか。
その話を書こうと思う。


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