多様性が「努力」にすり替わる瞬間
前提設定
この話は、
努力を否定する話じゃない。
頑張る人を
馬鹿にする話でもない。
ただ、
多様性という言葉が
どこで努力論に変換されるのか
その構造を観察する。
日本は「努力」を美徳にする社会だ
日本では、
努力はとても評価される。
・我慢して続ける
・歯を食いしばる
・迷惑をかけない
・弱音を吐かない
これらは、
長い間
美徳として扱われてきた。
多様性が入ると、努力が増える
多様性が語られるようになって、
本来は
楽になるはずだった。
でも実際は、
こうなっている。
違ってもいい
だから
その分、頑張ってね
支えは増えない。
制度も変わらない。
代わりに増えるのは、
個人の努力量。
努力が要求されるのは、いつも同じ側
よく見ると、
努力を求められるのは
決まっている。
・合わない人
・外れた人
・少数派
・声が小さい人
標準モデル側は、
努力を増やさなくていい。
「努力不足」という便利な言葉
ここで、
便利な言葉が使われる。
・まだ足りない
・工夫が必要
・もう少し頑張れば
これで、
構造の問題は
全部、個人に戻る。
制度は無傷。
前提も無傷。
努力は、測れない
努力は、
数字で測れない。
だから、
評価する側に
都合がいい。
・見えない努力は無かったことにされる
・成果が出なければ努力不足
・限界は考慮されない
努力は、
使い捨てになる。
多様性と努力の相性が悪い理由
多様性が成立する前提は、
こうだ。
人は
同じ量の努力を
同じようには出せない
でも日本では、
努力は
平等に要求される。
ここに、
ズレが生まれる。
頑張れる人だけが残る
結果として、
何が起きるか。
・頑張れる人だけが生き残る
・頑張れない人は消える
・消えた理由は語られない
多様性は残るが、
人は減る。
最後に
努力は、
尊い。
でも、
多様性の代替にはならない。
多様性とは、
努力しなくても
詰まない設計のこと。
努力が前提になった瞬間、
多様性は
崩れている。
日本は今、
多様性という言葉で
努力を
上乗せしている。
——
次は、
「多様性が“自己責任”に完成する瞬間」
を掘る。
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※この話は「多様性」カテゴリーにまとめてあります


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