第4.5話|オーストラリアでも「大学が前提の場所」と「そうじゃない場所」がある

オーストラリアに住んでいると、
「海外では大学に行かなくてもいい」
という話が、少し単純化されすぎて伝わることがある。

でも実際は、
オーストラリア国内でも前提は同じじゃない

場所によって、
進路の“初期設定”はかなり違う。


私と芋が生きてきた
ゴールドコーストの前提は、こうだ。

・大学に行っていなくても普通
・技能職や現場仕事が身近
・資格や経験がそのまま収入につながる
・独立や職替えが現実的

ここでは
大学は選択肢の一つでしかない

行ってもいいし、
行かなくても詰まない。


一方で、
ブリスベン、シドニー、メルボルンの前提は違う。

特にシドニーやメルボルンでは、

・金融
・保険
・会計
・法律
・コンサル
・企業の管理職ルート

こうした
明確なホワイトカラー職を狙う若者が多い。

この世界では、
大学はほぼ入場券

行かないと
スタートラインにすら立てない職種も多い。


ここで重要なのは、

これは
「とりあえず大学」ではない
という点。

都市部で大学に行く若者の多くは、

・どの業界に入るか
・なぜ大学が必要か
・学位が何の条件になっているか

少なくとも
分かった上で選んでいる

成功するかどうかは別として、
目的はある。


つまり、こういうこと。

オーストラリアでも
大学が前提の世界は存在する

でもそれは
「全員に強制される前提」ではない。

・場所
・産業
・賃金設計

これによって
前提が分かれている。


日本との決定的な違いは、ここ。

日本は
大学が必要な世界と
必要じゃない世界が
制度的に分かれていない

だから、

・学びたいことがなくても
・どの業界に行くか決まってなくても

「とりあえず大学」が
避難所として機能してしまう。


オーストラリアでは、

・大学に行く理由がある人は行く
・行かない人にも別ルートがある

この分岐が最初から見えている

だから
進路の議論が
感情論になりにくい。


前提として押さえておきたいのは、これ。

👉 海外=大学不要ではない
👉 大学が必要な世界は、確かにある
👉 でもそれは
👉 全員に当てはめられる前提ではない

前提が違えば、
正解も違う。


この話は
「大学に行く・行かない」の是非じゃない。

どの前提で、その選択をしているか
の話。

前提を混ぜたまま議論すると、
必ずズレる。

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