オーストラリアやイギリスで
「とりあえず大学へ行く」
という選択は、ほとんど成立しない。
理由は思想でも
意識の高さでもない。
制度と現実が、そうさせない。
まず、学費。
海外では
大学=高コスト
がはっきりしている。
・学費は安くない
・生活費もかかる
・多くはローン
だから最初に問われる。
「その学位、回収できる?」
ここで
目的が曖昧な進学は
自然にふるい落とされる。
次に、代替ルート。
大学に行かなくても
・働きながら学ぶ
・資格を取る
・収入を得る
・キャリアが積み上がる
制度としての逃げ道がある。
これが決定的に違う。
オーストラリアでは
技術職・技能職が
はっきりと“稼げる”。
・資格=賃金に直結
・経験=市場価値
・独立ルートが現実的
だから親も言う。
「大学じゃなくてもいい。
ちゃんとしたルートなら。」
イギリスも同じ。
徒弟制度や
企業主導の育成ルートが
大学と並列で存在する。
「大学に行かない」=脱落
にならない。
一方、日本。
・大学以外のルートが弱い
・技能職の賃金が低い
・将来像が見えない
この状態で
「多様な進路を選べ」
と言われても、
実質、選択肢は一つ。
👉 とりあえず大学
つまり、
海外では
大学は“選ばれる場所”。
日本では
大学は“避難所”。
ここが決定的に違う。
これは
日本の若者が甘いからでも
親が過保護だからでもない。
構造の問題だ。
「大学に行かない選択」が
成立する社会。
それは
・賃金
・資格
・ルート
がセットで設計されている社会。
日本は今、
大学を量産しながら
その外側の設計を
30年放置してきた。
結果、
中身のない進学だけが増えた。
次回は、
じゃあなぜ親は
この現実を
直視できないのか。
親の恐怖の話をする。
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