多様性があるフリ国家・日本|第2話

多様性は、なぜ「許可制」になるのか

前提設定

この話も、
誰かを責めるためのものじゃない。

正しさを競う話でも、
怒りをぶつける話でもない。

ただ、
なぜ日本の多様性が窮屈になるのか
その構造を観察する。

結論を急がない。
答えも出さない。

起きている現象だけを、
言語化する。


日本の多様性は「自由」に見えている

表面だけ見ると、
日本はかなり自由だ。

・多様性を尊重します
・いろんな生き方があります
・選択は個人の自由です

言葉だけ並べれば、
確かにそう聞こえる。

でも、
実際に一歩外れると、
空気が変わる。


見えない線が引かれている

日本の多様性には、
見えない条件がある。

それはこれ。

「周りに迷惑をかけないこと」

この一文が付いた瞬間、
多様性は
自由ではなくなる。

・同じ速度で進めない
・同じ成果が出せない
・同じ形で貢献できない

その時点で、
「それは困る」
「そこまで想定していない」
という反応に変わる。


多様性が「許可制」になる瞬間

日本の多様性は、
こうして姿を変える。

違ってもいい
ただし
こちらが許容できる範囲で

つまり、
許可制

・認められる違い
・黙認される違い
・許されない違い

この線引きは、
明文化されない。

だから余計に、
個人が空気を読む。


許可を取り続ける人生

許可制の多様性の中では、
人は無意識にこう動く。

・これは言っていいか
・ここまでなら大丈夫か
・やりすぎじゃないか

本当は
選択の自由のはずなのに、
常に
確認作業が発生する。

結果、
違っている側ほど疲れる。


許可制と自己責任は相性がいい

許可制の多様性には、
もう一つ特徴がある。

それは、
責任が必ず個人に戻ること。

許可された範囲で
うまくいけば
「よかったね」。

許可の外に出て
詰んだら
「それはあなたの選択」。

支援は義務じゃない。
制度も後追い。

だから、
挑戦は自己責任。
失敗も自己責任。


なぜこうなるのか

理由は単純だ。

前提が
単一仕様のままだから。

・標準モデルは一つ
・そこから外れるのは例外
・例外は個別対応

この設計のまま
多様性を語ると、
必ず
「許可制」になる。


最後に

多様性が
許可制である限り、
人は自由にならない。

選べるようで、
選べない。

違っていいようで、
常に確認が必要。

それを
優しさとか
配慮と呼ぶから、
余計に分かりづらくなる。

多様性が
本当に「ある」状態とは、
許可を取らなくても
詰まない構造があること。

日本はまだ、
そこまで行っていない。

——
次は、
「空気を読む社会に、意見の多様性は存在しない」
を掘る。


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※この話は「多様性」カテゴリーにまとめてあります

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