――善意が、構造を壊すとき
最初は、
全部「良かれと思って」だった。
・助けたかった
・揉めたくなかった
・相手を責めたくなかった
・自分がやった方が早かった
どれも
悪くない。
むしろ
優しい判断。
でも
この善意が
構造に入らないまま続くと、形が歪む。
善意は、記録されない
善意の厄介なところは、
数字に残らないこと。
・誰がどれだけ負担したか
・誰がどれだけ調整したか
・誰がどれだけ我慢したか
全部、
見えない。
だから
評価も
再設計も
されない。
結果、
善意だけが
積み上がる。
善意が前提になる瞬間
一番危険なのは、
この瞬間。
「今までもやってくれてたよね」
この一言で、
善意は
役割に変わる。
頼まれていないのにやる。
断れなくなる。
やらないと空気が悪くなる。
ここから先は、
もう善意じゃない。
無言の固定化。
構造は、感情を理解しない
構造は
優しさを評価しない。
感謝も
事情も
気持ちも
読み取らない。
ただ
「回ったかどうか」
だけを見る。
だから
善意で回した構造は、
次も
同じ善意を要求する。
人が削れるまで。
善意は、設計に戻さないと腐る
善意が悪いんじゃない。
設計に戻さないことが問題。
・誰がやるのか
・どこまでやるのか
・いつまでやるのか
・やめる条件は何か
これを
言語化しないと、
善意は
静かに人を壊す。
続く家庭にあるもの
続いている家庭や家計には、
共通点がある。
善意を前提にしない。
善意がなくても回る。
疲れても回る。
機嫌が悪くても回る。
その上で
余裕があるときに
善意を足す。
順番が逆じゃない。
善意を、守るために
善意を
消す必要はない。
でも
構造に戻す。
それだけで
人は壊れにくくなる。
次は
「我慢が美徳になるとき、家計は壊れる」
に進む。
この話は「当たり前を構造にする」カテゴリにまとめてあります。
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