余白は、「いい人」でいようとした瞬間に消える
余白が消える瞬間は、
だいたい決まっている。
「まあ、私がやればいいか」
この一言。
頼まれたわけじゃない。
断れない状況でもない。
でも、
空気を読んで
先回りして
引き受ける。
ここで、
余白は差し出される。
この判断は、
悪意じゃない。
むしろ逆。
・角が立たないように
・場が回るように
・揉めないように
全部、善意。
だから厄介。
「いい人」でいようとすると、
構造が歪む。
・役割が固定される
・負荷が見えなくなる
・代替が生まれない
結果、
その人がいないと
回らない状態になる。
余白を差し出した側は、
だんだん疲れる。
でも、
周りは気づかない。
だって
問題は起きていないから。
起きていない問題は、
誰も直さない。
お金の話でも同じ。
- 自分が出せば丸く収まる
- 今月だけなら
- 私が我慢すれば
これ、全部
余白の前借り。
余白は
使うためにあるんじゃない。
守るためにある。
誰かの感情処理や
場の調整に
常用するものじゃない。
「いい人」をやめろ、
とは言わない。
でも、
「自分がやらなくても回る形」
を作らない限り、
余白は戻らない。
お金編は、
こういう小さな判断を
一つずつ見ていく。
派手な話は、
まだ先。
※この話は、「前提」カテゴリーにまとめています。


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