第6話|「普通」を持たない子どもは、案外しなやかだ

「普通だったらさ」
「みんなはさ」

子どもが小さい頃、
大人はよくこの言葉を使う。

でも、
うちの子たちは
最初から「普通」を持っていない。

アジア人ハーフで、
ボートに住んでいて、
暮らしも学校も、
どこかいつもズレている。

だからたぶん、
「普通に当てはまろう」と
最初から思っていない。


それは、
かわいそうなことでも
不利なことでもない。

むしろ、
一つの型に入れない分、
折れにくい。

比べる基準が一つじゃない。
評価される場所が一箇所じゃない。

学校で何かあっても、
世界が全部崩れない。


差別やいじめは、
「同じであること」を
前提に起きやすい。

少し違うだけで、
浮く。
目立つ。
ネタになる。

でも
最初から違っている子は、
案外そこに賭けていない。

「ここで認められなくても、
別に困らない」

言葉にしなくても、
そういう立ち位置を
もう持っている。


私は、
子どもに
誇りを教えていない。

代わりに、
逃げ道をたくさん残してきた。

・学校がすべてじゃない
・クラスが世界の中心じゃない
・分かってもらえなくても、生きていける

これは
強がりじゃない。
現実の話だ。


「普通」を目指すと、
外れたときに
自分を責める。

でも
最初から「普通」を持たないと、
外れる場所がない。

それは
案外、自由だ。


うちの子たちは、
たぶんこれからも
何かを浴びる。

でも同時に、
何かを軽くいなす。

正面から受けず、
説明せず、
深入りしない。

それは
教えた戦い方じゃない。

生活そのものが、
勝手に教えた立ち回り
だ。


親としてできるのは、
強くさせることじゃない。

一つの世界に、
閉じ込めないこと。

それだけで、
子どもは
案外うまくやっていく。

静かに、
しなやかに。

※この話は、「差別」カテゴリにまとめています。

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