第3話|たぶん浴びてる。でも、私のところまでは下りてこない

差別は、
大人になってから出会うものだと
思っていた時期があった。

でも実際は、
子どもの方が、ずっと早く出会う。

名前。
見た目。
アクセント。
国籍の決めつけ。

海外で暮らしていれば、
ゼロなはずがない。

たぶん、
うちの子も
そういう言葉を浴びていると思う。


ただ、
それは
私のところまでは下りてこない。

聞いても、言わない。
聞かなくても、言わない。

「別に大丈夫」
「もう終わった」
そんな顔で流す。


親としては、
正直、少し複雑だ。

知りたい気持ちもある。
守りたい気持ちもある。
ちゃんと共有してほしいとも思う。

でも同時に、
これは
隠しているわけじゃない
とも感じている。


子どもは、
親が傷つくことを知っている。

自分が浴びた言葉を
そのまま渡したら、
親の世界まで
一緒に汚してしまうことを知っている。

だから
あえて言わない。

それは弱さじゃない。
かなり高度な判断だと思っている。


大人は、
すぐ説明したくなる。

「それは差別だよ」
「そういう人もいる」
「気にしなくていい」

でも、
子どもにとって必要なのは、
世界の構造説明じゃない。

自分の感覚を疑わなくていい、
という安心感


私は、
無理に聞き出さない。

「何かあった?」とは聞くけど、
「何て言われたの?」までは踏み込まない。

言わないという選択も、
尊重する。

子どもには、
子どもの距離感がある。


差別は、
共有すれば軽くなるとは限らない。

時には、
自分の中で処理した方が
楽なこともある。

それを
親の正義で
引きずり出す必要はない。


私ができるのは、
ただ一つ。

いつでも話していい場所がある
という状態を
消さずに置いておくこと。

今は言わなくていい。
言いたくなったら、
ここに来ればいい。


たぶん、
これからも
何かを浴びると思う。

でもそれが
私のところまで
全部下りてこないのは、

子どもが
ちゃんと自分の世界を
持ち始めている証拠でもある。

親としては、
少し寂しくて、
少し誇らしい。

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