子どもがまだ小さくて、
私にまったく余裕がなかった頃。
芋に言われた一言がある。
「YOU SHOULD BE HAPPY」
正直に言うと、
その瞬間、私はかなり腹が立った。
寝不足。
常に時間が足りない。
お金の余裕もない。
頭の中は「今日をどう回すか」でいっぱい。
そんな状態で
「幸せでいろ」と言われても、
それは励ましじゃなく、正論だった。
しかも一番やっかいな正論。
幸せになれない自分を、責め始める構造
この言葉が刺さった理由は、
「私は幸せじゃない」と突きつけられたからだ。
幸せであるべき
↓
幸せじゃない私はおかしい
↓
もっと前向きにならなきゃ
↓
でも余裕は増えない
↓
自己否定だけが残る
これは、気持ちの問題じゃない。
構造の問題だ。
幸せは「考え方」ではなかった
あとになって分かった。
幸せは
ポジティブ思考でも
感謝の訓練でも
努力目標でもなかった。
幸せは、余白だった。
余白がないと
・正しい言葉は刺さらない
・優しさはノイズになる
・正論は攻撃になる
当時の私は、
幸せを感じる器そのものが空いていなかった。
誰も悪くなかった
ここは大事だから、はっきり書いておく。
芋が間違っていたわけじゃない。
私が未熟だったわけでもない。
ただ、
言葉が届くタイミングじゃなかった。
幸せは、
整ったあとに
勝手に湧いてくる感情だ。
湧かせに行くものじゃない。
幸せシリーズで書いていくこと
このシリーズでは
「どうやったら幸せになれるか」は書かない。
代わりに書くのは、
・幸せが入ってこない構造
・余白を奪う生活設計
・正論が人を削る瞬間
幸せはゴールじゃない。
結果だ。
まず見るべきなのは、
感情じゃなく、構造。
※この話は「幸せ」カテゴリにまとめてあります。
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