――「ありがたいと思え」の正体
「もっと感謝したら?」
「恵まれてるんだから」
「ありがたいと思わなきゃ」
こういう言葉は、
たいてい善意の顔をして出てくる。
でも私は、
この言葉が出てきた瞬間に
ひとつ確信する。
この人、現実を見ていない。
感謝を要求する人が見ていないもの
感謝を要求する人は、
だいたい次を見ていない。
・誰がどれだけ疲れているか
・どこに負担が集中しているか
・それが何年続いているか
・代替がない状態かどうか
構造を見ずに、
感情だけで
「ありがたいでしょ?」
と言ってくる。
でもそれは
感謝の話じゃない。
黙れ、の丁寧語だ。
感謝は「命令」すると死ぬ
感謝は
強要された瞬間に
意味を失う。
なぜなら感謝は、
上下関係や正しさの道具じゃないから。
・感謝しろ
・文句言うな
・足りないと思うな
こうやって使われる感謝は、
人を黙らせるための
感情コントロールでしかない。
本当に感謝がある場面
本当に感謝がある場面では、
誰もそれを口に出して要求しない。
・構造がフェア
・負担が偏っていない
・逃げ道がある
・余白がある
この状態が整ったとき、
感謝は
勝手ににじみ出る。
だから
「感謝しろ」と言う人がいる場所は、
だいたい
設計が壊れている。
感謝を疑う勇気
感謝できない自分を
責める前に、
一度、
この問いを置いてみてほしい。
誰の安心の上に、
この「ありがたい」は成り立っているのか。
そこを見たとき、
言葉が出なくなるなら、
それは
感謝が足りないんじゃない。
現実が、歪んでいるだけ。
このブログで書いている感謝は、
美しい言葉じゃない。
構造の歪みを見抜くための指標だ。
#感謝
#感謝の強要
#現実認識
#前提
#詰まない設計
※この話は「感謝」カテゴリにまとめてあります。


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