――回っているのに、なぜ苦しいのか
一見すると、
その家計は問題なさそうに見える。
・収入は安定している
・生活は破綻していない
・外から見れば、ちゃんとしている
それでも、
感謝の言葉が出てこない。
この違和感の正体は、
ほぼ一つに集約される。
誰かが我慢して、この家計が成り立っている。
「回っている」と「健全」は別物
家計が回っていることと、
家計が健全であることは、同じじゃない。
・母だけが支出を削っている
・どちらか一方が無理を前提にしている
・善意や忍耐で穴を埋め続けている
こういう構造は、
数字上は成立している。
でも中身は、
人が削れている家計だ。
我慢は、固定費になる
最初は一時的なつもりだった我慢も、
気づくと「前提」になる。
・私が我慢すれば回る
・言わなければ問題にならない
・今は仕方ない
こうして我慢は、
家賃や光熱費と同じように
固定化されていく。
そしてこの固定費だけは、
家計簿に載らない。
この状態で、感謝は生まれない
ここで
「感謝しよう」
「ありがたいと思わなきゃ」
と言われても、
無理だ。
それは
感謝が足りないんじゃない。
消耗しているだけ。
疲れ切った状態で
感謝が出てこないのは、
異常でも未熟でもない。
正常な反応だ。
感謝は、要求するものじゃない
感謝は
教え込むものでも
求めるものでもない。
構造を直したあとに、
勝手に残るものだ。
・誰か一人に負担が偏っていないか
・我慢が前提になっていないか
・この家計は、誰の体力で持っているのか
ここを見直すと、
空気が変わる。
感謝は、
あとから戻ってくる。
このブログで書いている感謝は、
優しさの話でも
美徳の話でもない。
設計の話だ。
#感謝
#家計の構造
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#前提
#詰まない設計
※この話は「感謝」カテゴリにまとめてあります。


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