ここまでで、日本とオーストラリアの制度構造、
そしてグレーゾーンの正体を見てきた。
最後に残る問いは、これだ。
同じ制度の中で、
なぜ助かる人と、助からない人が分かれるのか。
私は、脳出血のあと
オーストラリアでCentrelinkに助けを求めた。
結果として、
私は突っぱねられなかった。
これは、
運でも、優しさでも、特別扱いでもない。
制度が拾う条件を、すべて満たしていただけだ。
まず、理由が明確だった。
脳出血という
医学的に第三者証明できる原因があった。
- 病院
- 医師
- 診断
- 記録
これは制度にとって、非常に重要だ。
「本人の選択」
「生活態度」
「努力不足」
そういう曖昧な話に、すり替えられない。
次に、
**「一時的に働けない」**に正確に当てはまっていた。
- 働く意思はある
- だが、今は医学的に無理
- 回復の見込みがある
これは、
オーストラリアの制度が最も想定しているケースだ。
さらに、
家族が形式上は機能していた。
- パートナーがいる
- 子どもがいる
- 完全な孤立ではない
ただし、
経済的には支えきれない。
この状態は、
制度から見ると「理想的な中間」になる。
もうひとつ、
あまり語られない条件がある。
制度対応能力が残っていたこと。
- 申請ができた
- 話が通じた
- 書類を揃えられた
壊れきっていなかった、ということだ。
ここまでの条件を並べると、
線が見えてくる。
助かる人は、
- 原因が明確
- 第三者証明がある
- 回復見込みがある
- 家族が形式上存在
- 制度を扱える状態
助からない人は、
- 理由が曖昧
- 証明が弱い
- 回復に時間がかかる
- 家族が機能していない
- 申請の途中で崩れる
この差は、
能力や価値の差ではない。
制度との「噛み合い」の差だ。
だから、こう言える。
私は
「強かったから助かった」のではない。
制度が想定する
“正しい弱者像”に、たまたま一致していただけだ。
このシリーズで書いてきたのは、
制度批判でも、被害者論でもない。
どこで線が引かれているかだ。
その線を知らないと、
人は「自己責任」という言葉で
全部を片付けてしまう。
覚えておいてほしい。
一番危ないのは、
- 壊れているのに
- 壊れていない扱いをされる人
一番落ちやすいのは、
- 助けが必要なのに
- まだ頑張れると思われる人
制度は必要だ。
市場も必要だ。
でも、
グレーゾーンは放っておくと必ず潰れる。
それは日本でも、
オーストラリアでも同じだ。
これで、このシリーズは終わる。
もし、
「自分はどこにいるんだろう」と
少しでも考えたなら、
それは、
もう他人事ではないということだ。
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