第5話|なぜ私は助かり、なぜ助からない人がいるのか

ここまでで、日本とオーストラリアの制度構造、
そしてグレーゾーンの正体を見てきた。

最後に残る問いは、これだ。

同じ制度の中で、
なぜ助かる人と、助からない人が分かれるのか。


私は、脳出血のあと
オーストラリアでCentrelinkに助けを求めた。

結果として、
私は突っぱねられなかった。

これは、
運でも、優しさでも、特別扱いでもない。

制度が拾う条件を、すべて満たしていただけだ。


まず、理由が明確だった。

脳出血という
医学的に第三者証明できる原因があった。

  • 病院
  • 医師
  • 診断
  • 記録

これは制度にとって、非常に重要だ。

「本人の選択」
「生活態度」
「努力不足」

そういう曖昧な話に、すり替えられない。


次に、
**「一時的に働けない」**に正確に当てはまっていた。

  • 働く意思はある
  • だが、今は医学的に無理
  • 回復の見込みがある

これは、
オーストラリアの制度が最も想定しているケースだ。


さらに、
家族が形式上は機能していた

  • パートナーがいる
  • 子どもがいる
  • 完全な孤立ではない

ただし、
経済的には支えきれない。

この状態は、
制度から見ると「理想的な中間」になる。


もうひとつ、
あまり語られない条件がある。

制度対応能力が残っていたこと

  • 申請ができた
  • 話が通じた
  • 書類を揃えられた

壊れきっていなかった、ということだ。


ここまでの条件を並べると、
線が見えてくる。

助かる人は、

  • 原因が明確
  • 第三者証明がある
  • 回復見込みがある
  • 家族が形式上存在
  • 制度を扱える状態

助からない人は、

  • 理由が曖昧
  • 証明が弱い
  • 回復に時間がかかる
  • 家族が機能していない
  • 申請の途中で崩れる

この差は、
能力や価値の差ではない。

制度との「噛み合い」の差だ。


だから、こう言える。

私は
「強かったから助かった」のではない。

制度が想定する
“正しい弱者像”に、たまたま一致していただけ
だ。


このシリーズで書いてきたのは、
制度批判でも、被害者論でもない。

どこで線が引かれているかだ。

その線を知らないと、
人は「自己責任」という言葉で
全部を片付けてしまう。


覚えておいてほしい。

一番危ないのは、

  • 壊れているのに
  • 壊れていない扱いをされる人

一番落ちやすいのは、

  • 助けが必要なのに
  • まだ頑張れると思われる人

制度は必要だ。
市場も必要だ。

でも、
グレーゾーンは放っておくと必ず潰れる。

それは日本でも、
オーストラリアでも同じだ。


これで、このシリーズは終わる。

もし、
「自分はどこにいるんだろう」と
少しでも考えたなら、

それは、
もう他人事ではないということだ。

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