第2話|「悪気はなかった」が、仕事で一番どうでもいい理由

今回の件で、
次男に「悪気」があったかと言われれば、たぶん無い。

わざと捨てたわけでもない。
クレームを入れさせようと思ったわけでもない。
友達が拾うと思った。
それだけだ。

子どもとしては、
ごく自然な判断だと思う。

でも、仕事の世界では、
その自然さが一切評価されない。

なぜか。

仕事では、
「気持ち」よりも
「結果」のほうが、圧倒的に強いからだ。

・誰がやったか
・どんな事情があったか
・年齢はいくつか

これらは、後から聞く話であって、
最初に見られるものではない。

最初に見られるのは、いつもこれだ。

ちゃんと終わっているか。
トラブルを出していないか。

今回の場合、
住民が見たのは
「道に落ちているチラシ」だけ。

それは住民から見れば、
ゴミなのか、迷惑なのか、
少なくとも“感じのいいもの”ではない。

だから電話をした。

住民にとって、
・誰の子どもか
・13歳かどうか
・友達がいたかどうか

そんなことは、どうでもいい。

電話を受けた不動産会社も同じだ。

「配布を頼んだチラシが、路上に落ちていた」

この事実だけが、
仕事の評価を一瞬で変える。

ここが、
家庭と社会の決定的な違い。

家庭では、
理由を聞いてもらえる。
気持ちも汲んでもらえる。
やり直しもできる。

でも仕事では、
まず結果。
そのあとに、必要なら説明。

説明の順番が、完全に逆だ。

今回、支払いが一時的に止まったのも、
怒鳴られなかったのも、
理由を詰められなかったのも、
全部「大人の世界」だ。

静かで、感情がなくて、
でも確実に効く。

だからこの経験は、
「叱られた話」では終わらない。

判断ひとつで、
信用とお金の流れが変わる

という構造を、13歳で体験した。

次の話では、
この出来事に対して
「怒らなかった親」と
「怒った親」、
どちらが正しかったのか。

そして、
家庭で社会を再現する意味について書く。

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