私がボートに関する仕事から撤退した理由

― 海の上の生活・女性から見たボートコミュニティ② ―

私は、
ボートに関する仕事から一度、手を引いた。

逃げたわけじゃない。
諦めたわけでもない。

役割を降りただけだ。


2018年から2024年まで、
私はボートに関する力仕事と、
ゴムボートの運転を引き受けてきた。

脳出血の後も、
ゴムボートは普通に運転していた。

できるかどうかじゃない。
必要かどうかで、やっていただけだ。


ある日、風の強い日だった。

その日も、
芋はいなかった。

私はゴムボートで、
子どもたちをジェティーに迎えに行く途中だった。

その時、
モーターが突然止まった。

再スタートはできなかった。


パニックにはならなかった。

風の向きを見た。
このまま風に乗れば、
近くの砂浜に流れ着ける。

それは分かった。

だから私は、
とりあえず
がむしゃらに漕ぎ始めた。


砂浜に近づくにつれて、
子どもたちが
私を追いかけて走ってきているのが見えた。

その光景を見た瞬間、
私は思った。

これは、私の役目じゃない。


長男は15。
声が通る。
体もある。
判断もできる。

もう、
私が前に出続ける必要はない。

ここで私は、
はっきり決めた。

この任務は、長男にバトンタッチしよう。


子どもたちが巣立つまで、
私は一度、前線から下がる。

でも、完全に手放すわけじゃない。

また必要になった時に、
もう一度受け取れる状態でいよう。

だから、
体だけは鍛えておく。

復帰するかどうかは、
その時の状況が決める。


海の上で生きるって、
「できるかどうか」じゃない。

誰がやるべきかを、間違えないことだ。

あの日、
風の中で、
私はそれを選んだ。


正直に言う。

15になるまで、私は頑張ってやってきた。

先回りしすぎず、
危険を全部消さず、
でも放り投げもしない。

一番しんどいやり方を、
15年、続けてきた。


育て切った、じゃない。
完璧でもない。

ただ、

間に合った。

それだけだ。


15は絶妙な年齢だ。

早すぎたら、任せられない。
遅すぎたら、間に合わない。

あの日、
子どもが一段上がって、
私は一段下がった。

家族の構造が、
静かに切り替わった。


海の上で生きるって、
そういうことだ。

前に出る判断も、
引く判断も、
どちらも同じくらい重要。

そして私は、
15になるまで、ちゃんとやり切った。

コメント