私は無宗教だ。
信仰もないし、改宗した経験もない。
宗教行事に参加することもほぼない。
だからこそ、
多様性国家でいちばんややこしく見えたのが宗教だった。
多様性という言葉は、
人種・言語・食文化あたりまでは、わりと分かりやすい。
違っても、
並べれば成立する。
でも宗教は違う。
宗教は
「考え方」ではなく
生き方そのものだから。
多様性国家に住んでいると、
宗教施設に警備が常駐している光景を見る。
学校や公共施設では
宗教色を極力排除する。
行事も
言葉選びも
とにかく慎重だ。
これは差別でも敵意でもない。
管理だ。
たとえば オーストラリア では、
信仰の自由は最大限に守られる。
でも同時に、
国家・教育・法律は
宗教から距離を取る。
なぜか。
宗教は、
一度公共空間に入り込むと
「どこで止めるか」が分からなくなるから。
宗教は善悪の問題じゃない。
危険なのは、
・信仰が
・価値観が
・正義が
共通ルールを上書きし始めた瞬間。
だから多様性国家は、
宗教に対してだけ
線引きが異常にシビアになる。
無宗教の私から見ると、
この構造はとても冷静で、
同時にとても残酷だ。
「理解し合おう」ではなく、
「踏み込まない」。
「仲良くなろう」ではなく、
「混ざらない」。
それが、
社会を壊さないための現実解。
日本にいると、
この感覚はほぼ経験しない。
宗教が日常を支配しない社会では、
宗教は“話題”でしかない。
でも多様性国家では、
宗教は変数だ。
扱いを間違えると、
一気に不安定になる変数。
無宗教である私は、
どの宗教にも属さない。
だから
擁護もしないし
批判もしない。
ただ、
「仕組みとしてどう扱われているか」を見る。
すると見えてくる。
多様性国家で
いちばんフラットに扱えないもの。
それが
宗教だ。
次は、
「宗教とテロは別問題、でも切り離せない理由」
この辺りを、
感情抜きで書いていく。
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※この話は「多様性」カテゴリにまとめてあります


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