― 女性から見たボートコミュニティ① ―
海の上には、ちゃんとコミュニティがある。
でもそれは、外からはほとんど見えない。
ボートで生きる人たちは、
JETTYの情報、巡視ボートの動き、そして顔の見える関係でつながっている。
助け合いも、情報交換も、特別なことじゃない。
必要だから、日常的にやっているだけだ。
夫は、対面のコミュニケーション能力が異常に高い。
誰かが困っていれば手を出す。
頼まれなくても、気づいたら助けている。
この日も、
ゴムボートのモーターでトラブルがあった仲間が、迷わず助けを求めてきた。
すぐに誰かが動いた。
あとで聞くと、その人は
「いつも助けてもらってるから」
と言っていた。
私は、そのことを知らなかった。
この世界では、
助けたことをわざわざ言わない。
恩を売らない。
関係は、静かに積み上がっている。
もちろん、きれいな世界じゃない。
薬物中毒者もいる。
境界線を越えてくる人間もいる。
この日、そんな一人が、
私たちのゴムボートを盗もうとした。
その時、夫はいなかった。外出中だった。
つまりその瞬間、
この場の判断と対応の全責任は、子どもたちに託された。
最初に異変に気づいたのは、**次男(13)**だった。
その時、次男は
うんこをしていた。
トイレの中で、
聞き慣れないエンジン音に、耳が反応した。
考えるより先に体が動いた。
おしりも拭かず、
トイレも流さず、
飛び出して叫んだ。
その声で、**長男(15)**がすぐに気づいた。
相手は、
前歯が二本しかない、ガリガリの男。
そいつの TINNY には、
小さいモーターしか付いていない。
もともと動きはノロノロだった。
その上、
私たちのゴムボートを盗もうとして引っ張っている。
輪をかけてノロノロだった。
長男は、
野太い声で怒鳴った。
子どもの声じゃない。
大きい男の声だった。
海の上では、
声の大きさはとても重要だ。
モーターの音、
風の音、
波の音。
それらに、
かき消されてはいけない声がある。
長男の声は、
はっきり届いた。
私も、その声を聞いた瞬間、
血が騒いだ。
でも、前には出なかった。
海の上では、
アジア人差別なんて、正直どうでもいい。
実際そうなんだから、仕方がない。
海の上で生きるって、
そういう現実をそのまま受け取ることだ。
この場で前に出るべきなのは、私じゃない。
長男は、
私より背が高く、
力も何倍も強い。
声も、届く。
私がしゃしゃり出ていたら、
長男から
「STEP BACK!!!」
と怒鳴られていたはずだ。
それが、この場の正解だった。
結果として、
相手は引いた。
ゴムボートは戻ってきた。
あとで長男は、
「戻してこなかったら、
海に飛び込んで止められたと思う」
と言っていた。
それは威勢じゃない。
相手の体格、
ボートの速度、
距離。
全部を見た上での判断だった。
この出来事は、すぐにコミュニティに共有される。
名前は知らない。
前歯が二本しかない男。
顔と行動だけが、情報として残る。
ここでは、それで十分だ。
名前よりも、
何をしたかが記憶される。
私は思う。
この環境は、優しくはない。
でも、とても現実的だ。
子どもたちは、
危険が存在すること
声が届く必要があること
誰が前に出るべきで、誰が下がるべきか
大人がいない時に、どう判断するか
それを、生活の中で見ている。
守られているだけじゃない。
社会の仕組みを、身体で覚えている。
海の上の生活は閉ざされている。
だからこそ、外からは見えない。
でも確かに、ここには
陸よりも健全な人間関係があると、私は感じている。



コメント