最初は、教育の話だと思っていた。
努力しているのに結果が出ない子。
評価されない子。
学校の仕組みの話。
でも書いていくうちに、
はっきり分かった。
これは教育じゃない。
養育の話だ。
努力しているのに評価されない子
次男は、正直に言うと
全教科ひっかかっている。
でも
やっていないわけじゃない。
ふざけているわけでもない。
宿題もやる。
言われたこともやる。
学校にも普通に行く。
努力も、態度も、ピカイチ。
それなのに
結果がついてこない。
これを見ている親が
一番つらい。
頑張っていないなら
理由が分かる。
でも、頑張っている。
評価されない理由が
「本人」に見えてしまうから。
問題は能力じゃなく、測り方
たぶん彼は
怠けているんじゃない。
やり方が合っていないだけ。
でも学校では
「合っていない」は
ほとんど考慮されない。
結果だけが残る。
点数だけが残る。
このタイプの子は
本当に気づかれにくい。
問題を起こさない。
反抗もしない。
表面上は「普通」。
だから
静かに自己肯定感が削られていく。
ゼロ高を見て感じたこと
ゼロ高の話を聞いたとき
感動したわけでも
共感したわけでもない。
思ったのは
「設計が、今の子ども向きだな」
それだけ。
新しいのは
人でも
言葉でもない。
最初から、個体差がある前提で
評価が設計されている。
暗記より思考。
点数よりプロセス。
「できたか」より
「どう考えたか」。
これは甘い教育でも
逃げ道でもない。
むしろ
社会の構造に近い。
大人の世界では
「できない」は
能力不足じゃなく
配置ミスであることが多い。
でも学校は
配置を変えずに
努力だけを足す。
だから
努力家から壊れていく。
オーストラリアからは入学できない
ただ、現実的な話をすると
オーストラリアから
ゼロ高に入学するのは無理。
でも
それで終わりじゃない。
大事なのは
学校に行くことじゃなく
どう育てるか。
だから
カリキュラムだけ
家で試してみることにした。
正解を教えない。
点数をつけない。
比べない。
親は先生にならない。
「どう考えた?」
「どこが難しかった?」
それだけ聞く。
これは教育じゃなく、養育
ここで気づいた。
これは
教育の話じゃない。
養育の話だ。
教育は
外の基準に近づけること。
養育は
その子が壊れずに育つ
環境を作ること。
今、次男に必要なのは
成績を上げることじゃない。
自分を疑わずに
学び続けられる土台。
点数は取り直せる。
順位も取り直せる。
でも
自己肯定感は
壊れると取り直しがきつい。
別のルートで育っている
次男は
遅れているんじゃない。
別のルートで
ちゃんと育っている。
うまくいかない時、
変えるべきなのは
子どもじゃなく
環境のほうかもしれない。
合わない場所で
自分を疑わなくていい。
それを
信じ続けること。
守り続けること。
養育は、
結果が出る前の人間を
信じ切る仕事だと思っている。
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