― 「安定」の正体は、本当に安心なのか ―
日本の雇用を語るとき、
必ず出てくる言葉がある。
安定。
安定した会社。
安定した収入。
安定した人生。
それは悪いものじゃない。
むしろ、多くの人を守ってきた。
でも、
一度立ち止まって考えたい。
その安定は、今も安心を生んでいるだろうか。
日本の「安定」は、
変えないことで保たれてきた。
・給料は大きく上げない
・評価は急に変えない
・人の移動は少なく
・前例を優先する
この設計は、
波を立てない。
でも同時に、
伸びもしない。
安定しているはずなのに、
多くの人が不安を抱えている。
・老後が見えない
・子どもの教育費が重い
・病気や失業が怖い
・一度外れたら戻れない
これは、
安定が壊れているというより、
安定の中身が変わってしまったという話だ。
かつての安定は、
・給料が少しずつ上がる
・長くいれば守られる
・将来が予測できる
という前提の上にあった。
今はどうか。
給料は伸びず、
責任だけが増え、
将来は自己責任。
形だけ残って、
中身が抜けている。
それでも
「安定しているから大丈夫」
と言われ続ける。
でもそれは、
リスクが見えにくくなっているだけかもしれない。
・動かないリスク
・選べないリスク
・変えられないリスク
これらは、
表面には出にくい。
だから
気づいたときには、
身動きが取れなくなっている。
安定を選ぶこと自体が、
悪いわけじゃない。
問題は、
安定が万能だと思い込むこと。
今の日本では、
安定は「守ってくれるもの」ではなく、
縛りになることもある。
若い世代が
「安定だけでは足りない」
と感じるのは、
わがままだからじゃない。
安定の中身を、
ちゃんと見ているからだ。
夢が高すぎるんじゃない。
安心だと思っていたものが、
もう保証になっていない。
次は、
日本は「稼ぐ国」ではなく
「整える国」になった
その前提を言語化する。
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