② 中高生は混ざって見えるだけ
オーストラリアの学校を見ると、
「大人より子どもの方が人種を超えて仲良くしている」
そう感じる人は多いと思う。
実際、中高生は混ざって“見える”。
同じ制服を着て、
同じ教室で授業を受け、
同じ校庭でスポーツをする。
学校という空間は、人種や文化に関係なく、強制的に交わらせる。
特に低学年のうちは、
言語や文化よりも
「同じクラス」「同じ学年」「同じチーム」
が優先される。
だから一見すると、
多様性は子ども世代で自然に克服されているように見える。
でも、それは学校の中だけの話だ。
放課後になると、
週末になると、
その“混ざり方”は一気に薄くなる。
誰の家に遊びに行くのか。
誰の誕生日パーティーに呼ばれるのか。
どのスポーツクラブに入るのか。
このあたりから、
文化、家庭、言語、生活リズムの違いが
静かに表に出てくる。
学年が上がるほど、
特に中高生の後半になるほど、
グループはじわじわと分かれていく。
これは、誰かが排除しているわけではない。
居心地の問題だ。
家で使っている言語。
食事の時間。
親の価値観。
将来の進路の考え方。
そういった「前提」が近いところに、
人は自然と戻っていく。
学校の中では混ざる。
でも、生活圏では混ざらない。
それが、オーストラリアの中高生の実情だと思う。
私立校でも公立校でも、
この構造は大きく変わらない。
違うのは人種よりも、
家庭の階層や文化の方だったりもする。
だから、
「うちの子は多国籍な友達がいるから大丈夫」
そう安心するのは、少し早い。
混ざっているように見えても、
それはあくまで一時的な配置の話で、
本質的な融合ではない。
でも、これは悲観する話ではない。
無理に混ざらせない。
無理に理解させない。
それでも学校生活は回っている。
オーストラリアは、
子ども社会でさえ
「融合」をゴールにしていない。
共存はする。
でも、融合はしない。
それが、この国の多様性の設計だ。
次は、
ワーホリや留学生がなぜ詰むのか。
その話を書こうと思う。
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