オーストラリアも、多様性は未完成だ
前提設定
この話は、
オーストラリアを持ち上げる話じゃない。
日本を下げる話でもない。
「海外の方が進んでいる」
そんな単純な比較はしない。
ただ、
同じ“多様性”という言葉が、
国によってどう壊れているか
それを観察する。
オーストラリアは「多様性国家」に見える
オーストラリアは、
多様性が前提に入っている国だ。
・人種
・言語
・宗教
・家族形態
・働き方
「違う人がいる」こと自体は、
最初から想定されている。
この点だけ見れば、
日本より進んでいるように見える。
でも、うまく回っているわけじゃない
現実は、
そんなに綺麗じゃない。
制度はある。
ルールもある。
権利も言語化されている。
でも、
運用が追いついていない。
・支援が遅れる
・現場がパンクする
・声の大きい人が得をする
多様性は
「ある前提」ではあるが、
雑に扱われている。
日本との決定的な違い
ここが一番大きな違いだ。
日本
- 多様性が前提に入っていない
- 標準モデルが一つ
- 外れた人が調整する
👉 静かに削れる
👉 説明しないといけない
👉 空気を読むことで生存する
オーストラリア
- 多様性は前提に入っている
- 標準モデルが複数ある
- まずは主張が必要
👉 交渉しないと始まらない
👉 声を出さないと消える
👉 押さないと負ける
同じ「しんどい」でも、削られ方が違う
日本のしんどさは、
内向きだ。
・我慢する
・縮む
・黙る
気づいた時には、
かなり削れている。
オーストラリアのしんどさは、
外向きだ。
・主張する
・交渉する
・戦う
エネルギーが切れたら、
そこで終わる。
多様性は「性格を選ぶ」
ここが、
あまり語られないポイント。
オーストラリアの多様性は、
使える人には強い。
・押せる
・言える
・交渉できる
でも、
静かな人
疲れやすい人
言語が弱い人には、
かなり厳しい。
日本は逆だ。
多様性を
使わなくても生きているフリはできる。
ただし、
詰んだ瞬間に
一気に落ちる。
見えてきた本質
ここまで見てくると、
多様性は
「ある・ない」の話じゃない。
多様性とは
誰が、どこで、どう削られるか
の設計。
日本は
内側で削る。
オーストラリアは
外側で削る。
どちらも
未完成だ。
最後に
多様性は
理念でも
スローガンでもない。
摩耗の分配設計だ。
誰が我慢し、
誰が声を上げ、
誰が脱落するのか。
それを
無自覚に放置している限り、
どの国でも
多様性は「あるフリ」になる。
日本は、
まだ
自分の壊れ方に
気づいていないだけだ。
——
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