ここで、
少し面白いことが起きている。
母が
全国を渡り歩けたのは、
友の会の存在が大きかった
のは確かだと思う。
どこに行っても、
生活の前提が通じる場所があった。
私と姉は、
同じ前提で育っている。
生活が回ること。
段取りがあること。
迷わなくていいこと。
そこに、
違いはない。
それでも、
受け取り方は分かれた。
私は、
どこへ行っても楽しかった。
本気で
「住めば都」
だと思っていた。
一方で、
姉は
この移動を
かなり大変そうに受け止めていた。
父も同じだ。
父にとっては、
この転勤は
明確な負荷だったと思う。
同じ家族。
同じ移動。
それなのに、
感じ方は違う。
理由は、
前提の有無じゃない。
前提を、
どこまで自分の内側に
取り込めていたか。
母は、
友の会という
外部の前提を持っていた。
私と姉は、
その前提の中で育った。
でも私は、
それを
疑問に思わず、
そのまま使っていた。
姉は、
同じ前提を持ちながらも、
環境の変化を
より重く受け止めていた。
父は、
そもそも
その前提の外にいた。
誰が強いとか、
弱いとかじゃない。
同じ前提でも、
内在化の深さは違う。
だから、
結果が分かれた。
住めば都だと思えたのは、
楽観的だったからじゃない。
生活が、
どこでも成立するものだと
身体で分かっていた
からだ。
(つづく)
#友の会 #前提 #生活設計 #構造の話 #生活OS
※この話は、「友の会」カテゴリにまとめてあります。


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