公立高校は、なぜ「放置」に見えるのか
ゴールドコーストの公立高校を見て、
多くの日本人親が最初に感じる違和感。
「あれ?これ、放置じゃない?」
・進路の管理がゆるい
・成績が落ちても学校は深追いしない
・将来の話をしても、答えは曖昧
でもこれ、
学校が怠けているわけでも、
無責任なわけでもない。
前提が違う。
それだけ。
公立高校の基本思想は「自己決定」
オーストラリアの公立高校は、
最初からこう考えている。
・進路は本人が決める
・学校は選択肢を提示するだけ
・最終責任は個人にある
だから学校は、
過剰に管理しない。
大学に行くか
TAFEに行くか
働くか
どれも「正解」。
上下はつけない。
日本の感覚で見ると、
これが「放置」に見える。
管理しない=何もしない、ではない
ここ、よく誤解される。
公立高校は
何もしていないわけじゃない。
・進路説明会はある
・カウンセラーもいる
・情報はちゃんと渡される
ただし、
取りに来ない人は、置いていかれる。
声を上げる家庭
質問する家庭
動く家庭
そこにだけ、情報が集まる。
平等だけど、
親切ではない。
なぜここまで突き放すのか
理由はシンプル。
大人になったあとも、
誰も管理してくれないから。
・大学でも
・仕事でも
・人生でも
「誰かが敷いたレール」は存在しない。
公立高校は、
その予行演習をしている。
優しい設計じゃない。
でも、現実的。
日本の公立と決定的に違う点
日本の公立は、
「最低限の均質化」を目指す。
・大きく外れない
・大きく落ちない
・空気を読む
一方、オーストラリアは違う。
・外れる自由がある
・落ちる自由もある
・這い上がる自由もある
だから
放置に見えるほど、自由。
公立で伸びる子、潰れる子
ここが分かれ目。
伸びる子
・親が前提を理解している
・家庭で設計が入っている
・学校に期待しすぎない
潰れる子
・学校が何とかしてくれると思っている
・親が丸投げ
・情報を取りに行かない
同じ学校でも、
結果が真逆になる。
第2話の結論
ゴールドコーストの公立高校は、
放置しているのではない。
「選択の自由」を渡しているだけ。
でもその自由は、
準備がない家庭には、
ただの重荷になる。
公立は
万能でも、親切でもない。
家庭の前提と設計があって、
初めて機能する場所。
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※この話は「教育」カテゴリーにまとめています。


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