横で見ていて、正直ヒヤヒヤする。
芋(現場系オス)が
友達をデスりちらかす。
遠慮がない。
言葉も強い。
日本基準なら、完全にアウト寄り。
「それ、ちょっと言いすぎじゃない?」
私のセンサーは毎回鳴る。
でも。
そのメンバー、20年以上続いている。
誰も離れない。
誰も気まずくならない。
むしろ会うたびに同じテンション。
ここに、構造がある。
日本の「壊さない」前提
日本の友情は、
関係を壊さないように設計されている。
言葉を選ぶ。
空気を読む。
察する。
少しでもヒビが入る可能性があれば
最初から回避する。
だから
言いすぎ=危険
になる。
それは優しさでもあり、
同時に緊張でもある。
オージー現場系の「壊れない」前提
でも彼らは違う。
本気で嫌いな相手には
冗談すら言わない。
距離を取る。
呼ばない。
自然に消える。
つまり
デスられている
= 仲間認定
遠慮しない
= 壊れないと信じている
前提が逆なのだ。
日本は
壊さないように扱う。
オージー現場系は
壊れないと信じて扱う。
この差は大きい。
デスり=信頼という構造
言葉は荒い。
でも
その土台にあるのは
「こいつとは切れない」
という前提。
20年以上続く関係は、
偶然ではない。
壊れる関係なら
そこまで踏み込めない。
だから
デスれる。
それは攻撃ではなく、
関係が成立しているかの確認作業に近い。
私はまだ完全には理解できない。
でも
壊れていないという事実は目の前にある。
私がヒヤヒヤする理由
私は言葉の温度を見る。
傷が残らないか。
感情が澱のように溜まらないか。
そこを無意識にチェックしている。
でも彼らは
言葉よりも前提を見ている。
ここがズレると
世界が違って見える。
文化は
正しいか間違いかではなく
設計思想の違い。
壊さない文化。
壊れない前提の文化。
私はまだヒヤヒヤしている。
でも少しだけ、構造が見えてきた。
オーストラリア文化、異文化コミュニケーション、夫婦観察、前提シリーズ、文化OS。
この話は「前提」カテゴリーの中で、文化OS編として整理していきます。


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