やればできた人/やっても詰んだ人の分岐点|第3話

同じだけ努力した。
同じ時間を使った。
同じくらい本気だった。

それなのに、
片方は「やればできた人」になり、
片方は「やっても無理だった人」になる。

この差を、
才能や根性で説明するのは簡単だ。
でもそれは、一番ラクで一番雑な説明だ。


多くの場合、
分岐点はもっと手前にある。

努力の量でも、
気合いでもない。

どこで努力を始めたか。
それだけだ。


「やればできた人」は、
たまたま空いている席の前に立っていた。

  • 市場が広がっていた
  • まだ人が少なかった
  • ルールが固まっていなかった
  • 上が詰まっていなかった

そこで努力した。

結果、
「努力が報われた人」になる。


一方、
「やっても詰んだ人」はどうか。

  • 席がほぼ埋まっていた
  • 入口が狭くなっていた
  • 先行者が居座っていた
  • ルールが完成していた

同じ努力をしても、
席に座れる余地がなかった

それだけだ。


ここで重要なのは、
後者が劣っていたわけじゃない、という点だ。

判断が遅かった?
情報が足りなかった?
環境が違った?

どれもある。
でも一番大きいのは、
努力を始める位置が違ったこと。


それなのに、
社会はこうまとめる。

  • 成功者:努力した
  • 失敗者:努力が足りなかった

このまとめ方は、
後出しで物語を整えているだけだ。


ここで、人は壊れる。

  • 同じだけやったのに
  • 同じだけ我慢したのに
  • 結果が出ない

それを
「自分の質の問題」だと思い始める。

違う。
配置の問題だ。


「やればできた人」は、
正しかったわけじゃない。

「やっても詰んだ人」は、
間違っていたわけでもない。

ただ、
分岐点を通過した位置が違った


だから、
ここで必要なのは根性ではない。

  • もう少し続けるか
  • 一度引くか
  • 場所を変えるか

この判断ができるかどうか。


覚えておいてほしい。

  • 努力は万能じゃない
  • 正しい努力でも、場所が悪ければ詰む
  • 続けることより、引く判断の方が難しい
  • 撤退できる人の方が、生き残ることが多い

これは、
負けを肯定する話じゃない。

自分を切り捨てないための話だ。


次は、
よく誤解される言葉を解体する。

**「最初に勝て」**とは何か。
それはスピードの話でも、
才能の話でもない。

先に座ったかどうか
ただそれだけの話をする。

この話は、教育や進路を考えるための前提として書いている。同じテーマはブログ内の「前提」「教育」のカテゴリにまとめてある。#前提 #教育 #思考の前提 #進路 #分岐点

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