ICUの写真は、なぜ出さない選択肢がなかったのか
――記憶を改ざんさせないために
正直に言うと、
ICUの写真を見るのは、今でもきつい。
そこに写っているのは、
「大変だった頃の私」なんて
生ぬるいものじゃない。
記憶は、ゼロ。
頭はホチキスで縫われ、
ステンレスの棒のようなものが入っている。
前頭部は剃られ、
残った髪は
落ち武者みたいに
ひとつにくくられている。
二重あごの、
中年女性。
それが、
ICUのベッドに横たわる
私だ。
美しくもない。
強くもない。
頑張っている感じすらない。
ただ、
生かされているだけの身体。
あれは、
見返すための写真じゃない。
それでも、
出さないという選択肢はなかった。
なぜなら、
あの写真がないと、
この話は簡単に書き換えられてしまうから。
「大変だったけど、今は元気」
「乗り越えたんだね」
「もう過去のことだよね」
その一言で、
全部なかったことにされる。
でも現実は違う。
今の私の
生活も、
判断も、
再発への恐怖も、
健康への異常なまでの注意も、
全部、
ICUのベッドの上から続いている。
途中で切れる話じゃない。
ICUの写真は、
強さの証明じゃない。
可哀想さを伝えるためのものでもない。
あれは、
「ここから始まっている」という
事実の証拠。
これを出さないと、
私は自分の物語を
他人に都合よく編集させることになる。
「辛いなら、出さなくていい」
そう言われることもある。
でも、
見ないことと
無かったことにすることは違う。
私は、
あれを消したくない。
ヒーリングは、
優しく包むことだけじゃない。
ちゃんと見ること。
ちゃんと認めること。
ちゃんと置いておくこと。
あの写真は、
私にとって
ヒーリングの起点そのものだ。
このシリーズで
ICUの写真を出すのは、
誰かを驚かせるためじゃない。
あれがあったから、
今がある。
それを、
一続きの現実として
残しておきたいだけ。
これは
消費されるコンテンツじゃない。
生存記録だ。
私は、
過去を売っているわけじゃない。
過去を、
置いていっている。
だから、
ICUの写真は出す。
痛いまま、
そのまま。
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この話は「ヒーリング|脳出血」カテゴリーにまとめてあります。


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