――「やりません」は、誰を守っているのか
「それ私の仕事じゃない」
オーストラリアでは、
この言葉にほとんど感情が乗らない。
冷たいわけでも、突き放しているわけでもなく、
ただの事実確認に近い。
最初は戸惑った。
でも暮らしていくうちに、
これは個人の性格じゃなく、
社会が労働者を守るために作った言語だと分かってきた。
この国では、
・責任範囲が曖昧な仕事
・「ついで」「気づいた人がやる」
・善意に依存した労働
これらは、かなり警戒される。
なぜなら、
それが一番簡単に
無償労働と搾取に変わることを、
社会全体がよく知っているから。
だから線を引く。
だから言葉にする。
「それは私の仕事じゃない」と。
働き手にとっては、
これは本当に強い武器だ。
境界線があると、何が起きるか。
・燃え尽きにくい
・責任を一人で背負わない
・「いい人」競争が起きない
・断っても人格否定されない
日本でよくある
「頼まれたから」
「断れなかったから」
「空気的に」
こういう理由で壊れていく人が、
圧倒的に少ない。
正直に言うと、
この点だけ見れば、日本より健全だと思う。
ただし。
当然、代償もある。
誰かがやらないといけないことが、
その場で宙に浮く。
・ゴミはそのまま
・小さな不具合は放置
・「あと一手」が誰も出さない
それは怠慢ではなく、
前提通りに生きた結果。
そして、そのしわ寄せは
たいてい「受ける側」に来る。
ここで日本育ちの人間は、
どうしても引っかかる。
「それ、今やれば終わるのに」
「30秒で済むのに」
「誰も損しないのに」
でもその“30秒”を積み重ねて、
誰かが無意識に抱え続けた結果が、
日本の現場の疲弊でもある。
だからこの違和感は、
どちらかが間違っているサインではない。
守っているものが違うだけ。
オーストラリアは
「働き手を守る」ために線を引いた。
日本は
「場を壊さない」ために線を引かなかった。
どちらも合理的で、
どちらも不完全。
だから大事なのは、
どちらの社会で生きるか、ではなく
その前提を知った上で選んでいるか。
「やりません」は、
冷たさじゃない。
防御だ。
でも同時に、
その防御の中で生きるなら、
誰かがやらないことを許す覚悟も必要になる。
次は、
その覚悟を一番強く求められる
サービスを受ける側の話をする。
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