「多様性教育」という幻想

② 混ざれない子を「問題」にしない

多様性教育の現場で、
一番よく起きているズレは何か。

それは、
混ざれない子が「問題」として扱われてしまうことだ。

・輪に入らない
・特定の友達としか過ごさない
・同じ文化圏の子とばかりいる

こうした様子を見ると、
大人はつい不安になる。

「ちゃんと多様性を学べていないのでは?」
「社会性が足りないのでは?」
「このままで大丈夫だろうか?」

でも、ここで一度立ち止まった方がいい。

それは本当に問題なのか。
それとも、大人側の期待がズレているだけなのか。

オーストラリア社会の前提を思い出すと、
答えはかなりはっきりする。

この国は、
混ざらない前提で回っている。

大人社会でさえ、
人種も文化もグループごとに分かれている。
それでも仕事は回り、社会は壊れていない。

なのに、
子どもにだけ
「混ざること」
「融合すること」
を求めるのは、少し酷だ。

子どもは本能的に、
安心できる場所を選ぶ。

言葉が通じる。
笑いのツボが近い。
家庭の空気が似ている。

そこに戻るのは、
逃げでも後退でもない。

自己防衛であり、適応だ。

それを
「多様性を受け入れられていない」
「成長が足りない」
と解釈してしまうと、
子どもは自分を否定し始める。

本当は、
学校という空間で
違う文化の子と同じ教室にいられるだけで、
もう十分に多様性の中にいる。

会話がなくてもいい。
親友にならなくてもいい。
深く理解し合わなくてもいい。

同じ空間にいて、衝突せずに過ごせている。
それ自体が、立派な共存だ。

多様性教育が目指すべきなのは、
「仲良くさせること」じゃない。

・距離を保つ選択があること
・戻れる場所があっていいこと
・混ざらなくても排除されないこと

この安心感を、
子どもに渡すことだと思う。

混ざれない子を
無理に混ぜようとしない。

問題視しない。
矯正しない。
評価しない。

それだけで、
子どもはずいぶん楽になる。

多様性とは、
「同じになること」じゃない。

違ったまま、存在できることだ。


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